帰り際、もう暗くなるからと嵐山くんは律義に家の前まで送ってくれた。日が延びているからそんなには暗くなかったけれど、言葉に素直に甘えた。帰り道もたくさん話をして、今日一日で嵐山くんのことをたくさん知れた気がする。楽しかった。嘘はない。でも別れ際の何か言いたげだった嵐山くんに応えることは出来ず、またねと手を振った。
どうしていいか悶々と数日を過ごし、世間は夏休みを迎えた。バイト先が忙しくなり、まだテストも残っているというのに、暇さえあればバイトをして思考を停止した。
「こんにちは。今日も暑いっすね」
「いらっしゃいませー、こんにちは」
「最近嵐山さん来たりしてますか?」
「どうだろう。来てないと思うけど」
「これ、秘密なんだけど、お姉さんにだけ教えてあげる」
佐鳥くんと言うらしい男の子は店によく来た。愛想がよくって、おばちゃんたちには人気がある。接客することは時々あったけど、こんな風に話しかけてくるのは初めてでびっくりした。カウンターに身を寄せるようにして、小さな声で佐鳥くんは話した。
「この前の休みに嵐山さん、水族館に行ったらしいんです」
「う、うん。それどうかしたの?」
内心どきりとした。幸い店は空いていて近くには誰もいない。こんな話題、他の人に聞かれたら気まずい。
「それで、誰と行ったのかって聞いても、教えてくれなくて」
「へー」
「で、やっと教えてくれたヒントが、この店の人って。お姉さん心当たりある?」
楽しそうな顔はもう確信があるのではないかと思ってしまった。けれど嵐山くんが同じ隊の後輩たちに付き合ってもいないわたしとのことを話すとも思えないし、どう言うのが正解か頭はフル回転だった。
「佐鳥くん」
小さな声で名前を呼べば「俺の名前、知ってくれてたんですね」と嬉しそうに呟かれた。
「その話、他の人には絶対しないでね」
「じゃあお姉さんが、デートの相手?」
「そう、だと思う……」
「やっぱり」
「でも、恋人とかじゃないからね」
「みたいっすね。嵐山さんも彼女じゃないって、言ってました」
「……なんでわたしだと思ったの?」
「嵐山さんが前に一回だけ、お姉さんのことかわいいって言ってたから」
びっくりして赤くなっていたらドアが開いて若いカップルが入って来た。佐鳥くんの注文もまだだったので、顔の熱を誤魔化すように注文を聞いてお会計を読み上げた。
佐鳥くんは品物を受け取った後、特に何も言うことなく人懐っこい笑顔で手だけを振って店を出て行った。あの子は嵐山くんと同じ隊で、愛想がいいと言うことしか知らない。嵐山くんとのことを無駄に言いふらしたりはしないと信じているけど、ここの店員で仲の良い人はいるだろうし、うっかり言ってしまう可能性もないとは言い切れない。嵐山くんとのことは、まだゆっくりじっくり考えたいと思っていた。周りに何か言われるのはできれば避けたいし、特に付き合っていない段階で誰かに噂されるのは避けたい。
徐々に嵐山くんの方へ気持ちが傾いているのはわかっているけれど、どこか怖い気もしていた。ボーダーの顔である嵐山くんと付き合うこと自体を、自分がしっかりできるのだろうか。付き合うのならば、嵐山くんの信用を傷つけたりしたくないし、嵐山くんにとっていい彼女でいたいと思うけど、そんな自信もあまりない。元彼とはくだらないことでよくケンカをしたし、言いたいことも我慢しなかった。それでも、毎日顔を合わせたからすぐに仲直りもできた。でも嵐山くんとはそうはいかない。そんなの関係ないと思えるほどに嵐山くんを好きだと胸を張れない自分がいることもわかっているから、きちんとした返事ができないでいた。