SS「全部お酒のせい」の続き




 迅が何を考えて何を思ってるかなんて、どうでもよかった。どうでもよくないけど、考える余裕なんて、アルコールが回った頭には当然なくて、考えられないが正解だ。どちらから顔を近づけたのかなんて、今となってはわからないが、どちらのせいでもあると思う。こんな夜道に酔っ払いのわたしを迎えに来た迅と、酔っ払っている自覚があるのに容易に迅に触れたわたし。どっちもどっちだ。
「ん……」
 離れそうになっては離れないくちづけを繰り返し、それは次第に深いものになった。ゆっくりとした手つきでおしりを撫でる手も止まる気配がない。このまま流されてしまうのだろう。けどこの警戒区域内はボーダーの監視下ではないだろうか。そう気が付いて、ふと我に返った。
「だめ!」
「……」
「あ、そうじゃなくて、ここって、本部から監視されてたりするんじゃ……」
 急に体を突き飛ばしたせいで、びっくりした顔でこちらを見てくる迅に、ここでこんなことはしたくないと伝える。少し冷静になってきた。そもそも、本部はもうあと一分も歩けば入口がある。誰が出てくるかもわからないし、監視の目を潜り抜けていたとしても、リスクが高すぎる。
「なら場所変えようか」
「え? どうしてそうなるの」
 自分のことを嫌がっているわけではないとはっきり悟ったらしい迅は、やさしくわたしの手をとる。断ればいいものを断れないのはなんでだろう。無理に引っ張るわけでもないこの手を、放すことがどうにもできない。
「……もう視えてるの?」
「どうだろう」
 ゆっくりと、本部とは逆に向かって歩き始める。このまま流されてもいいと、回らない頭が言っている。先程一瞬だけ取り戻した理性は、またすでにどこかへ行ってしまったようだ。



「明日には、何も覚えてないと思う。今も結構眠いし、何も考えられない。だから未来のことも、何も考えないでね」
 これは連れられたホテルで、いざ向かい合った時に自分が口にしたセリフだ。これを一言一句覚えている当たり、きっと抜け落ちた記憶などない。けれど言葉通り知らないふりをして、迅のやさしい嘘に乗っかった。
 迅はわたしとは街で会って、あまりにもべろべろだったから一緒にここに来ただけだと言った。起きたとき、しっかりと服を着ていたことに少しだけびっくりしたし、あまりにも迅が落ち着きを払ってそういうので、わたしもそうだと思い込むことにした。昨日の記憶は全部、ゴミ箱の奥に隠した。
 迅のことは嫌いじゃない。十分好きだった。好きだと言われたら嬉しいし、付き合って欲しいと言われたら喜んで付き合う。でも、自分から彼の闇に飛び込んで支えられる度胸など持ち合わせていなかったから、あの日のことは、あの日だけのことにした。未来が視えてしまう彼が、正直に手を出してきたのだって、本当に後腐れがないとわかっていたからだろうとも思う。面倒なことになるとわかっていれば、あんなことはしないだろう。そんなに馬鹿な男ではない。
 誰にも言うことができず、態度に出すこともできず、迅とも相変わらずの関係で過ごし続けた。それなのに、表に出せない迅への感情は日に日に大きくなっていた。もしあの時、あんなことを言わなければ。もしあの時、恋人になりたいと言っていたら。そんな後悔がときおり頭の中をかき乱すけれど、何の行動にも繋がらないまま、半年が過ぎた。


「お前はもうやめとけ」
「だいじょうぶだいじょうぶ」
 二十歳になった迅を連れて、太刀川と飲みに連れてってあげようと言うことになった。弓場と生駒ももうすぐで誕生日だったけれど、その時はその時で、また大人数の飲み会を開けばいいと、今日は三人だけだった。太刀川はわたしたちの関係をもちろん何も知らないし、わたしが誘われたのは酒飲みでひまそうだった以外にはないと思う。
「迅がこんなんじゃ、ゆっくり飲めないじゃん。いきなりこんなに飲ませないでよ」
「いやあ、こんなに飲むの下手だとは思ってなかった」
 真っ赤な顔してにこにこしている迅に、二人で水を与えたりして様子見をしていた。こんなになってるのがいては気軽に酔えない。迅がサワーを飲んでいるのに横から太刀川が日本酒をすすめたりして、あれもこれも飲んでみろなんて言うから。酒の飲み方を知らない迅はあっという間に出来上がってしまい、太刀川のくだらない話をうんうんといい子に聞いていた。
「あ、太刀川さん。このあとすごくいい女に出会うよ」
「なんだそれ本当か?」
「嘘じゃない。うまく行くといいけど、そこは太刀川さん次第かな~。がんばって」
 何が視えているのか、薄めていた目をぱっちりと開いて太刀川に言う。そして次はわたしの番だと言いたげに視線を投げられるが、またゆっくり目を薄めてしまった。
「こいつの未来は?」
「うーん。いいとも悪いとも言えない」
「何それ」
 意味深な言葉に胸がどきりとした。誤魔化すようにウーロンハイのジョッキを手に取って、アルコールを流し込む。氷で薄まっておいしくない。お代わりを頼もう。
 もし本当に太刀川がどこかでいい女と出会って、私達のことなど放置で別れて行ったら、このぐだぐだの迅と二人でどうなってしまうのだろうか。前回のことを、つい思い出してしまう。

「太刀川さん戻ってこないよ」
「ええ?」
 そう言えばトイレに立ってからかなり経っていた。にやにやとした顔で言う迅にどういうことかを聞く前にため息をひとつ。太刀川がいなくなる前に、十分酔えなかった。
「さっきさんが注文してるときに、お金置いて女の人と出て行った」
「早く言ってよ」
 そう言って迅から一万円札を受け取る。おつりは返してあげない。本来なら太刀川のおごりだ。端数を出すだけ有難く思って欲しい。
「言ったら、追いかけちゃうかなって思って」
「女と消えた太刀川を?」
 びっくりした。そんなことするはずないの、迅なら当然、わかってると思っていた。
「注文したのがきて食べ終わるまでは出ないよ」
さんはこのあとどうしたい?」
 真っすぐに見つめられて、動けなくなる。今日はお酒を飲んでいるけどそんなに酔っ払っていない。ちゃんと頭は回る。だからこそ、簡単に答えは口にできない。
「視えてるんでしょ」
「うまく視えない」
「そんなことあるの?」
「初めてだからわかんない」
 酒に酔うこと自体が初めてであろう状態で、普段と同じだけの力を発揮するなんて、無理な話か。こんな状況で、年下をたらし込むなんて、いいのだろうか。一度寝た間柄で今更気にすることではないのかもしれないけれど。
 頼んでいた砂肝ポン酢が運ばれてきて、最後の一杯になるだろうハイボールをゆっくり口に箱ぶ。このあとのことは、もう二人ともわからない。でもそれでいい。時には流れに身を任せてもいいと思う。
「このあとは、未来が視えない迅に任せるよ」

 店を出て、あてもなく歩く。立っているのがやっとの迅を必死に引っ張り上げて、歩くように促す。酔っぱらいのお世話なんて面倒くさい。気持ち悪そうにしてないのが幸いだけど、本当にこのあとどうするんだろう。
 もし何も決まらずここから本部に帰るのだとしたら、タクシーを捕まえた方が安全かもしれない。そう考えていたら、ふいに手を引かれ、角を曲がっていく。なんだ、しっかり歩けるんじゃないか。そう思ったら急に抱き留められた。
さん」
「なに?」
 問いかけに返事はない。代わりにくちづけが降ってくる。細い路地で、二人だけの世界に没入してしまう。誰が通るかもわからない道端で、こんなことってどうなんだろう。そう思うのに、やめようと思わない私の理性は機能していない。それがお酒のせいか、はたまた恋のせいかはわからない。
「場所変えようか」
 あの日のセリフを口にする迅に、期待してしまう。さりげなくおしりに伸びた手も、あの日のことを鮮明に思い出させるには十分で、今日まで忘れたふりをしてきたけど、覚えていると、迅にはわかっていて欲しいと思ってしまう。

 寝て起きると、前回同様きちんと服を着ている。でも今回は何もなかった。ベッドに横になるやいな、迅は眠ってしまったからだ。未来が視えない状態の迅と、未来の話をしてみたかったなあと思ったけれど、考えるのがめんどうになって、自分もすぐ、眠りについた。振り回されて、わたしの方も疲れていたらしい。
 期待しているときほど、何も起こらないもの。前回のあれは本当にたまたまって感じだと思う。迅がわたしへなんらかの気持ちを持っていたのかも、と思うことがなかったとは言い切れないが、考えるだけ無駄だと思考停止していた。
 二度目の誘いがあったと言うことは、迅はわたしに特別な感情を持っていたのか。はたまた、ただ近くにいた簡単にヤレそうな女だっただけなのか。
 そっと、まだ眠っているらしい迅に手を伸ばす。寝顔を見るのは今日が初めてだ。前回は、わたしが起きたときには迅はもう起きていた。頬を撫でるように触れると、手を重ねられる。これは起きてたのだろう、そう思ったら、手のひらにキスをされた。
「おはよ」
「おはよう」
「起きてたの?」
「さっき起きた」
 重そうなまぶたを少し持ち上げて、じっと視られる。何かを確かめているのだろう。わたしは何もしてないし、このまま前回のように解散するだけだ。今回は本当に、何もなかったのだし。
 それなのに、迅は眠そうな目をしたまま近付いてきて、わたしの唇を奪った。触れては離れ、ちゅっと小さい音を立てながら、並んで横になっていたところから、覆いかぶさるように、体勢をかえる。
「まだお酒抜けてないの?」
「もう抜けてるよ」
「じゃあ、なんで、こんなこと」
「酔ってなきゃ、ダメ?」
 そんなことを聞いてくるなんてずるい。ダメなわけがない。けど、どう気持ちを整理すればいいのかわからない。この状況、何のせいにもできないじゃないか。
「ダメとかじゃないけど、だって」
「あの日だって、おれは酔ってなんてなかった」
「それは、そうだけど……」
「本当は忘れてないよね」
「……」
 忘れたと言ったわたしの言葉を、迅はずっと信じていたのだろうか。迅のサイドエフェクトは、未来は視えるけど、心までが読めるわけじゃない。わたしが知らないフリを続けた未来を、あの朝視たのなら、本当に忘れてると思うかもしれない。
「いやなら、もうしない」
「……いやじゃないって言ったら?」
「酔ってなくても、セックスできる関係になりたい」
「何それ。セフレ?」
「恋人でしょ」
 また口づけが降ってくる。今度はなかなか離れない。苦しくなって肩を叩くと、名残惜しそうに、ゆっくりと離れた。なんでそんな、最後みたいなかなしい顔をするんだろう。
「……いや?」
「いやじゃ、ないよ」
「本当?」
「迅の恋人にしてくれるなら」
「よかった」
 ぎゅっと抱きしめられて、熱くなる。迅にこんなにもいじらしい一面があったなんて驚きだった。未来が視えていても、急に変わることがあるんだと、前に言っていた。わたしの行動は、迅を振り回すことができていたのだろうか。そうだったら嬉しい。余裕だらけの年下を、少しくらい、翻弄させられる女でいたかった。違うか。好きな人に、余裕なんてないくらい夢中になってもらいたかった。それが本音だ。
 すこしだけ体を離して、またキスをする。何度目かもわからないけど、いままでで一番、熱い口づけだった。