二年の時から密かに推していた男の子と、三年生になり同じクラスになってしまった。友達は同じ学年の男の子は、推しではなく、好きな人とか気になる人になってしまうだろうと無粋なことを言う。そうじゃないんだよ。だって別に付き合いたいとかは全然思わない。怖そうだし。だからこそ、ボーダーで活躍するのを応援したい気持ちだけ、純粋に持てるのだ。なんて思っていたし、隣のクラスだから平気な顔で推していたのに、この距離感では、ちょっとやばいかもしれない。
そんな淡い期待も虚しく、同じクラスになったところでたいした接点は生まれなかった。もう三年だから、新しく交流せずとも知り合いはそれなりにいるし、今仲良くなったところで受験もあるし、あっという間に卒業するし、積極的に知らない人と今更仲良くなろうなんてことは起きない。だけれど普通に、推しを身近に感じられるから、やっぱり同じクラスでよかったかもと呑気に思ったりもする。
ボーダー隊員の中ではファンが少ない方かもしれないけど、推しは理屈じゃない。友達の中ではやはり嵐山さんが一番人気で、犬飼くんの先輩がイケメンだという噂もある。会長も人気が高いが会長はボーダーだからという訳じゃなくて、普通に会長として人気がある。人気というか、人望。当たり前だけど。
荒船くんを推し始めた理由は、任務中の姿を一度見たからだ。何であんなところへなんて理由はわからない。話をしたわけでもなくて、本当に見かけただけ。強そうな禍々しいオーラを持って、ただただかっこよくて、こんな人がこの街を守ってくれるなら安心だなあと感じた人が、同じ学校の人で同じ学年で、今年たまたま同じクラスになってしまったと言うだけだ。
広報活動をして市民に愛される嵐山隊ももちろんかっこいいと思うけど、やっぱりまたあんな大変なことが起きた時に、対応してくれるだろう強さを持っていそうなところに惹かれてしまう。運動神経もいいんだよな、と、体育の時間のことを思い浮かべられるのは、やはり同じクラスの特権だ。
「」
「え、あ、なに?」
「今日の英語のノート提出ってもうした?」
「さっき日直の子が集めてたけど、もう出しに行っちゃったかな? わたしはその時出したよ」
「マジかよ。わかったありがとう」
軽く手を挙げてくれて、ときめく。名前を呼ばれたことも、話せたことも、お礼を言ってもらえたことも、全てが、夢のようだ。そんな妄想すらしたことはないのだけど。
たまたま近くにいただけ。それなのに、やっぱり話しかけてくれたことが嬉しくて、口元が緩んでしまいそうだ。いや、確実に緩んでいる。早く友達に言いたい。でも教室では言えそうにないから帰り道か。ついに、推しと接触してしまった!
「バカじゃないの?」
「なんで! 一緒に喜んでよ!」
帰り道、運よく友達の方から寄り道を提案されて、ドーナツをかじりながら今日の一大イベントの話をしたと言うのに一蹴されてしまった。嵐山推しの彼女はあのキツイ感じの見た目に全然惹かれないらしい。強そうでかっこいいと思うのに。
「同じクラスなんだからそれくらい当たり前のことでしょ。と言うか、今までだって話しかけようとすれば話なんてできたでしょ」
「いやいや、それは違うじゃん。わたしが話しかけるのと、向こうから話かけてくれるのは重みが違うでしょ」
「初めて恋した男子中学生みたいなこと言ってないで……いや、恋してる中学生のがマシか」
「ひど」
「推しは推し。恋は恋。でも恋もせずに推しだけ推して青春無駄遣いしてるのはどうかと思う」
推しは嵐山隊隊長だが、普通に彼氏がいる友人に、器用だなあとは思う。でもそれが、世間一般の女子高生なのか。
ドーナツは美味しかったのに、友達の話が頭の中をぐるぐるしている。そりゃ、彼氏がいたら楽しいんだろうなと、話を聞いていると思うこともある。今の生活にそこそこは満足しているし、推しがいるだけでも十分じゃん! と思っているはずなのに、反論できない自分もいる。そんな現状に納得できる答えが見つからなくて、いつまでも頭の片隅でもやもやと消えてくれない。
荒船くんのことを好きになったら。そう考えても、好きでも結局のところ関係性は変わる気がしない。近づく度胸なんて持ち合わせていないし、告白しようだなんて思わないし、少しでも視界に入りたくて、話せる口実を永遠に探すだけの毎日を送るだけだ。
これが推しでも恋でも、どっちでもいい気がしてきた。わたしの生活は変わることはない。
「」
「……え、あ、なに?」
「食う?」
「え?」
「もらったけど、もう休み時間終わるから」
まだたくさん入ったプリッツの袋を差し出される。それなら、と一本だけもらう。
「もっと食えよ」
荒船くんは三本くらい一気に取り出してかじる。贅沢だなあと眺めながら、もう一本もらうことにした。なんなんだろうか。二人でバリバリしていれば、周りの人にも荒船くんが配り出して、あっという間にプリッツはなくなった。授業ももう始まる。
「助かった」
「うん、ありがとう……」
よく意味のわからないまま、席に戻る荒船くんを見送る。案外席が近いと言うことを再認識して、なんか、目が合いやすい角度なんだよなあとも考える。ちょっと斜め前だから、プリントを回す時とか後ろを向く時に、一瞬目が合いそうになったりするのは、嘘じゃないのかもしれない。
日常な些細なことをひとつひとつ思い出して、ドキドキする。もしかして、もう推しとして見れていないのかもしれない。でも絶対、荒船くんはわたしに何の感情もないのがわかるからつらい。つらいけど、なんだかちょっとだけ、楽しい気持ちになる気もした。
時々視線を感じてふと見ると、いつもがいる。目は合わない。でも、なんとなくちょうどいい距離感にいるんだよなと思い、話しかけてみるようにしたら、目が合うようになった。
気になる、という程ではないけどもう少しくらい、気軽に話せるようになれたらいいとは、思ったりはする。
「おう、今帰り?」
「あ、うん。そう。荒船くんも? 遅いの珍しいね」
「任務で休んだ日の補習あって」
「そっか」
下駄箱で話しかけると、びっくりしたような顔をされる。そんなに驚かなくてもいいものを、毎回、ちょっとだけ怯えたように見えるのは気になるが、思い過しだと思いたい。
「……テスト勉強進んでる?」
「えー、まあしてるよ。それなりには。だってもう来週じゃん」
「まあそうだよな」
「うん」
流れでなんとなく隣を歩くから気まずくて話しかけてみたけど、特に話題もなく、盛り上がることもない。盛り上げる必要がそもそもあるのかは疑問だが。
「荒船くんは?」
「俺も、ぼちぼち、かな」
「そんなもんだよね」
「……一緒にやる?」
びっくりした顔を見て、思わずちょっとだけ笑ってしまった。
「え、なんで笑うの!」
「悪い、なんか、面白くて」
「ひど! からかわないでよ」
「いや、そんな気はないんだけど」
「勉強、本当に、一緒に、いいの?」
「ああ、うん」
あんなに驚かれるとは思っていなかった。けど、自分の発言に自分も驚いていたので仕方ないとは思う。むずむずする。なんだか、意識してきてしまって気恥ずかしい。そんなつもりで言った訳ではなかったのに。
ドーナツ屋で女子と向き合って勉強をする日が来るとは、想像していなかった。話の流れで、そのまま。誰か他にも誘った方がよかったのではないかと思うが今更だ。
「先生ここがわかりません」
「何ページだ」
数学が苦手だとぼやいたと思えば、全く違う解き方で問題に挑んでいて見ていられなくなった。店内の甘い匂いに似合わず、真剣に取り組んだ。
こうして二人で長い時間一緒にいると、じわじわと、なんかいいのかもしれない。という気もしてきてしまう。今日誘ったときの顔を、今思い出しても笑えてきて、これは、もうかなり、そうなのかもしれない。
二人きりで勉強したあの日から、特に関係は変わらずテスト期間へ突入。勉強とボーダーの任務をこなして、それなりに忙しくしていたから忘れていた。それだけの気持ちだったはずだ。
「だから好きじゃないって! 荒船くんは推しだから!」
たまたま聞こえてきた声に聞き覚えはあったけど、確認する気にはなれなくて、足早に廊下を進む。あんな誰でも来るような中庭のベンチで変な話してんじゃねーよ、と脳内で毒づいて目的の自販機まで急ぐ。飲もうと思っていたのはお茶のはずなのに、勢いで炭酸飲料を買ってしまった。
「はあ~」
出てきてしまったものはもう戻せない。聞いてしまったことも戻せない。でも、気持ちの方は、これから変えることができるかもしれない。そこまで思考がたどり着いたとき、頭の中で考えていた人物が、目の前に立っていた。
「あー、荒船くん、も、……来てたんだ」
「……おう」
さっきの話を聞いたことをは知らないはずだけれど、気まずそうな顔をされて、またイラっとくる。推し、概念や意味を言葉の上では理解しているつもりではいるが、自分にそういった感情を向けられることは喜んでいいことなのか、よくわからない。
「ボーダー、忙しそうだよね……最近、早退多いし」
「そうでもない」
「そう?」
「別に。また勉強見てやれるくらいは時間あるけど」
「え?」
びっくりした顔は、すでにもうなんだか懐かしい。なんでこんな感情。バカみたいだと思えるのに、否定する気にはならない。
「……数学、返ってきたけど、結構だめでした」
「あの時点であのレベルだったもんな」
「ひど! まあ、そうなんだけど」
と話していたら、なんだかイラついていたことも、手の中にある炭酸飲料も、だんだんどうでもよくなってきた。
「あ、次はドーナツおごるね。教えてもらう身ということで」
「別にそんなんいらねーよ」
「いやいや、だって、そうしたら、わたしばっかりいい思いしちゃうし」
「俺も十分、いい思いしてる」
また、一段とびっくりした顔をするから笑ってしまった。なんで笑うの? と聞かれたけど面白いから以外に理由なんてない。もう少し時間が経って、それでもこの気持ちが変わらないのなら、その時は、もう少しはっきりした言葉で伝えてみようと思った。