一緒に帰る約束をしていたので、神田くんのクラスをのぞいてみたけどもう人はまばらになっていた。職員室へ寄ったせいだとわかってはいたけど、教室で待っていてくれていると思ったのに。仕方ないので下駄箱へ向かおうと廊下に身体を向ける。目の前から歩いてくる会長とふと目が合った。
「あれ、神田ならさんと帰るからって、少し前に教室出たんだけどな」
「職員室寄ってから来たから、入れ違っちゃったかも」
「そっか。気をつけて」
「うん。ありがとう」
 また明日、と、言うか悩んでやめた。クラスも違うし、そんな間柄ではないのだ。会長と手を振りながらすれ違って、下駄箱を目指す。ちょっとだけドキドキしたのを誤魔化すために、早歩きになっていた。
「ぎゃ!」
「前くらい見て歩いて」
「ごめん」
 唐突に現れないで欲しい。神田くんだからいいけど。でもよくない。変な声出してしまって恥ずかしいし、ぶつかってきたの絶対わざとだ。
「意地悪」
「前を見ないで歩くのが悪いでしょ」
「神田くんが教室で待っててくれないのが悪い」
「それはそっちだって」
 どうでもいい会話をしながら下駄箱で靴を履き替える。みんなだいたい同じ靴を履いてるけど、ちゃんと好きな人の靴はわかる。靴がわかると言うか、場所を覚えてるだけだけど。帰ったかどうかは靴を見たらすぐにわかる。だから確認しようと近くに来てそこの廊下でぶつかってしまったのだけど。
「さっき、職員室寄ってから、神田くんのクラス行ったんだけどね」
「それで会えなかったんだ」
 並んで歩く。ただそれだけ。でもそれだけが、とても嬉しいのだ。そして照れ隠しついでにさっきの気持ちの後ろめたさを消すために、嬉しかった報告をすることにした。
「会長に名前呼ばれちゃった」
「蔵内なら全員の名前覚えてるよ」
「えーそうなの? それはそれですごいけど、ちょっとざんねん」
「なんで?」
「だって会長から認知あるなんで嬉しいじゃん」
「認知って……そりゃあるでしょ。俺の彼女なんだから」
「だとしても嬉しいじゃん。特別っぽい感じして」
 神田くんは明らかにむっとした顔になる。そんなに嬉しそうな顔をしてしまったかなあとちょっとだけ反省する。
「……蔵内の特別になりたいの?」
「んー蔵内って呼ぶからなんか違うんだよ。会長は私たちより一個高いところにいる人って感じするじゃん。それでわたしもその一個高いところにちょっとだけ上がれた気分になれる。みたいな?」
「全然わかんねー」
「拗ねてるの?」
「そりゃ彼女が他の男の特別になりたいとか言い出したら困るよね、普通」
「総理大臣に名前呼んでもらえた感動? 的なやつだよ」
「俺には蔵内が総理大臣と同じなんて思えないし」
「それはそうかもだけどさー」
 会長の話をするのはいつものことだと思う。すごいねって言えばそうだろっていつもは言ってくれるのに。今日はなんでか不機嫌だ。
「会長には恋愛感情じゃなくて尊敬の念しかないよ」
「それは知ってるけど」
「だったらやきもちやかないで」
 目を合わせてもくれない。めんどくさい。そう思って手を握る。ぎゅっと握り返してくれるけど、見上げても目は合わないまま。
「……やっぱり蔵内には勝てないなって、思うんだよ」
「そうかな」
「俺も蔵内のこと尊敬してるとこもあるけど、あいつだって一人の男だし」
「でも綾辻ちゃんと付き合ってないんでしょ?」
「なんでそんな話になるんだよ」
「いや、普通の男の子があのポジションなら綾辻ちゃんと付き合うでしょ」
「綾辻の意思はないのか」
「わたしが綾辻ちゃんでも会長と付き合う」
「付き合うなよ」
 バチッと目が合ってしまって後ろめたい。でも逸らしたら負けだ。じっと見つめ返す。
「神田くんと出会ってなくて付き合ってなかったら、の話だよ」
「そんなもしも話するならせめて芸能人相手にして」
「それはごめん」
 繋いでいる手をぎゅっと握る。握り返してくれないけど、別にケンカする気もないと思う。神田くんは賢い人だからこんなくだらない話、もう終わりにしてくれるって、知ってる。
「俺もムキになってごめん」
「うん」
「……蔵内がかわいいって言ってたよ」
「え! わたしのこと?」
「うん」
「そうなんだあ。うれしい」
「あんま喜んで欲しくない」
「蔵内くんは〝神田くんの彼女が〟かわいいって言ったんでしょ? だったら喜ぶことじゃん」
 相変わらず不機嫌そうな顔をしている。余裕がない姿を見るのは好きだったりする。だって、そんなことあまりないし、それが自分のことでというなら尚更貴重だ。
「ちゅーしてあげよっか?」
「そう言うことじゃないんだけどなあ」
「したくないならいいよ」
「して欲しい」
 学校を出てからしばらく歩いた。周りに同じ制服は見当たらないけど、通りに面しているし今ここではちょっとなあと思う。悩んでいたら繋いだ手を引かれてひと気のない道へと誘導される。そんなにちゅーして欲しいのなら、素直に言えばいいのに。いや、言われたのか。
「してくれないの?」
 立ち止まって向き合って、数秒。本当に話はこれで終わりでいいのだろうか。
「会長のことはもういいの?」
「全然よくないけど、取られる気はしないから」
「会長とらないし、わたしだって離れる気ないし」
 恥ずかしいセリフを口にした。変な間が嫌で、とりあえず、神田くんのほっぺに唇を寄せた。さっきまではちゃんとするつもりだったのに、恥ずかしくてもうだめだ。
「口にはしてくれないの?」
「今は、無理」
 顔が熱くて、神田くんと目を合わせられない。恥ずかしがってるわたしを面白がった神田くんのご機嫌は、もうなおったらしい。