「なんで別れたの?」

 その質問はもう何度も聞かれて正直うんざりだった。けど、相手が米屋だから、はぐらかしたりせず真面目に答えようと思った。

 奈良坂くんと知り合ったのは一年生が終わる頃だ。出会ったきっかけは米屋だったかもしれない。どう知り合ったのかはもう忘れた。知り合って、惹かれ合って、付き合えることになって、幸せだった。もう過去形になってしまったのが、やっぱり寂しい。
 付き合うことになったきっかけは覚えている。何人かで遊んだ帰り道、家が近いわけじゃないけど方向が同じ人が他にいないからと一緒に帰った。二人きりでドキドキしたし、このままいい感じになったりしたら最高だと思っていたら、現実になったのだ。
 軽い気持ちで付き合ったと、そう指摘されたら図星かもしれない。学校も違うし性格だって好きなものもよく知らない。見た目がかっこよくてボーダーだから付き合った、それだけじゃ決してないんだけど、じゃあ何に惹かれたの? と聞かれても具体的なことは思い出せない。
 奈良坂くんのことはとても好きだった。付き合ってからもっともっと、好きになった。だからその分、奈良坂くんがどう思っているのか気になったし、不安でたまらなかった。私の気持ちが膨らんだだけ、不安も膨らんで、最後にはぱちんと弾けた。それが別れた一番の理由だ。

「……たぶん、私が重かったから」

 他の友達には言ってなかった。相手、忙しいし、あんまり会えないし、これからもそんな感じって言われて、話し合った結果ダメになっちゃった。なんて傷付いてないフリをした。それでもみんな気を遣って寄り道に誘ってくれたり夜に長電話してくれたりして、友達と過ごす方が、百倍楽しいと思った。あんな憂鬱な毎日もうごめんだった。

ってそんなに奈良坂のこと好きだったんだ」
「当たり前じゃん」
「平気そうに見えたから」

 それはそうだ。別れてからの私はちょっとだけ明るくなったと思う。強がっていたのもあるけど、奈良坂くんへの漠然とした不安が取り除かれて空っぽになったから、暗い気持ちも一緒に消えたのだ。だからこの失恋は私を強くしたと、そう言い聞かせて過ごしてた。そう過ごすしかなかった。

「奈良坂くんは」
「ん?」
「……なんでもない」

 彼はどうしてるのか、聞きたかったけど、聞いたら今夜も眠れぬ夜を過ごしてしまいそうだった。泣き疲れるまでいろんな後悔で頭の中がぐちゃぐちゃになって、眠ることもできない苦しい時間。最後にそれをしたのは、たしかもう一週間前だ。もうないと思ってたのに、またちょっとだけ、泣きたい気持ちが浮き上がってしまった。

「ひまなら帰り、スタバ行かね?」
「おごり?」
「まーいいけど」
「やった」

 こんな感じで話せる間柄ではなかったな、と、やっぱり未だに奈良坂くんを思い浮かべては目の前のものと比べてしまう。どんなに辛くても、本当にちゃんと好きだった。好きだから辛かった。好きだから、もっと一緒にいたかった。



 放課後に米屋と二人で歩いているのは変な感じだ。だけど友達以上の感情はない。それはお互いにそうだと思う。友達にも今日は米屋とスタバ行って帰るって隠さず言えちゃう。それを聞いた友達だって、特に何も思わない。
 金木犀のかおりがしなくなって、また少し寒くなってきている。冬ってなんとなく心細くて嫌だ。こんなメンタルの時に冬にならないで欲しい。

「……奈良坂は、あんまり元気ねーよ」
「え?」

 米屋のつぶやきは唐突だった。びっくりして脳みそが言葉を処理しきれない。

「オレってこんな役回りばっか」
「そんなことないでしょ」
「ま、どうでもいいけど」

 にやにやしだした米屋に心の奥がざわざわしてくる。一生懸命考える。奈良坂くんが元気のない原因が、私だったとしたら、すごく、嬉しい。

「奈良坂に奢ってもらってくれ」

 それじゃ、と米屋はスタスタと歩いて行ってしまう。立ち尽くしたまま動けない。向き合うように少し先で立ってる奈良坂くんの肩を米屋が軽く叩いて去っていく。またパニックだ。
 少し強い風が吹いて、髪の毛を抑える。目的地はすぐそこだ。寒いから店に入りたいのに動けない。これってどういうことなんだろう。米屋が気を利かせてくれたのはなんとなくわかるけど、奈良坂くんの気持ちも、自分の今の気持ちも、わからない。

「中入ろう」

髪の毛を耳にかけて視界を取り戻したらすぐ近くまで奈良坂くんが来ていて手首をやさしく掴む。その手がすごくあたたかくて、びっくりした。こんなに寒いのに、どうして。
 戸惑ったまま手を引かれて自動ドアをくぐる。落ち着いた店内の音楽が聴こえる。カウンターの向こうのお姉さんはかわいらしく微笑みかけて来てくれる。あたたかい奈良坂くんの手とは反対に、血の気が引いたまま戻らない。
 注文を聞かれて、米屋に奢ってもらうつもりだった時は、寒くても期間限定の冷たいのを選ぶつもりだったけど、何にしよう。思考が上手く働かない。

「どうする?」
「えっと……」

 メニューに視線を落として意識しないようにしてみるけど、手の温度が伝わってきて、邪魔をされる。

「えっと……キャラメル、マキアート!」
 
 笑顔の店員さんが復唱すると、その後に「それ二つ」と奈良坂くんが言う。奈良坂くんもキャラメルマキアートとか飲むんだ、なんてちょっとだけびっくりしている間にお会計が済み、いつの間にか手も離れた。微妙な距離をあけて受け取り口に並ぶ。私たちはまだカップルに見えるのだろうか。
 店内に高校生が少なくて安心する。知り合いには会いたくない。奈良坂くんの知り合いもいなければいい。

「甘いのすきだった?」
「たまには」
「同じじゃなくてもいいのに……」

 でも、こういうところが好きだと思う。私だって、好きな人が好きなものは好きになりたいし、同じものを共有したい。
 奈良坂くんは今何を思って私と会っているのだろう。私は素直に嬉しい。そう思えるけど伝えられるのかはわからない。別れるきっかけを与えてしまったのは私だし、奈良坂くんの本心は、最後まで曖昧なままだった。
たぶんきっと、もう会えないと思っていたから、今日会えたのはびっくりしたし、奈良坂くんが米屋に何かを言ったのだとしたら、それもとてもびっくりだ。少しくらいなら、期待とか、していいのだろうか。
飲み物を受け取り席へと向かう途中、とても緊張していた。動きが全部、ぎこちなくなる。



「今日はお休みなの?」
「夜に集まりがある」
「そっか」

 別れ話をした日もこうしてコーヒーショップで向き合っていた気がする。そしてその日も夜からボーダーに行くと言っていたはずだ。
 嫌な緊張がまとわりつく。傷付けるようなことを言われないとは頭でわかっていても、どんな言葉で傷付くかもわからない。それが、すごく怖い。

「元気だった?」
「うん」
「……あの日のこと、後悔してる」

 聞かれたのかと思って言葉に詰まった。後悔はしてない。悲しくて辛い日もあったけど、不安は徐々になくなったし、日が経って諦めもついていた。
 ちょっと苦しそうな顔をした奈良坂くんを見て、米屋の言っていたことが思い出される。元気、ないのかな。後悔、してくれてたのだろうか。

「もっと、ちゃんと、思ってること言えばよかったと思ってた」
「……そう、だったんだ」

 今その言葉を聞いても、どうしていいかわからない自分に戸惑う。喜んでいいことなのか、わからない。奈良坂くんを目の前にすると、いつも正解がわからなくなる。緊張と不安に蝕まれてる感覚。
 今はじっくり聴くターンだと思うから、動揺するなと言い聞かせるために目の前のカップを手にしたけど、熱すぎて飲めなかった。

「付き合ってるのずっと、しんどそうだったから、仕方ないとは思って、わかってたつもりだった」
「うん」
「……でもそんなの、格好つけてただけだって、気付いて」

 淡々と話が進むけど、怖くて、ずっとカップを見つめていた。奈良坂くんの言葉が、核心に触れるまで、きっと、ずっと、怖い。

「まだ、好きなんだ」

 自分に言われた気がしなくて、周りを見回してしまう。混んではいないけど、会話が聞かれるようなことはなさそう。店内のBGMが聞こえる。緊張で周りの音が気にならなかったことに、気が付く。

「付き合ってる時に言うべきだった」
「……本当に?」
「嘘ついても仕方ないだろ」

 軽く笑った奈良坂くんが正面に見える。やっと、顔をあげられた気がする。血の気が引いていたのも嘘みたいに、どきどきして、体温が戻る感じがした。

「あ、わたし、なんか、ずっと、緊張してて」
「うん」
「今、やっと、安心したかも。……付き合ってた時も含めて」

 正直に口に出したら、ずっと感じていた不安が、塊になってぼとっと落ちていくような気さえした。付き合っていた時、気付いていいなかったけど、欲しかったのは、ずっとこれだった。

「……私も、まだ、すきだよ」

 すごく恥ずかしい。付き合っていた時に、こんなこと、したいと思っていたはずなのに、こんなこともできないまま、別れてしまったのだ。もったいない。でも、奈良坂くんに、きちんとこれを求められなかった私も悪かったのだとは思う。

「また付き合ってくれますか」

 たくさんうなずいたあとに、またカップに手を伸ばす。泣きそうなのをこらえて、熱くて甘さもわからないキャラメルマキアートをひとくち、今度は飲めた。

「よろしくおねがいします」