その時は唐突にやってきた。びっくりしすぎて固まっているけど隣に座る弓場さんは何事もなかったように自分の肉まんをかじっていて、何か言いたい気持ちはあるのだけれど、口の中には同じく肉まんが詰まっているので何も言えない。
 付き合うことになって、もうずいぶん経った。付き合い初めたすぐはそれまでの友人関係より距離ができてしまい、恋人という関係になれるまでにまた時間がかかった。ようやく最近、自然に手をつないだりできるようになったとはいえ、今のは、おかしくないだろうか。
 初めての彼氏で、こういうことはもちろん初めてだ。それ自体が嫌だったわけではない。でもすごく嫌だった。もっと、何かあっただろう。肉まんを咀嚼しながら、だんだんと腹が立ってきた。食べ終わったら、何だったのか聞いてみよう。
「……お茶買ってくる」
「う、ん」
 当たり前に先に弓場さんが肉まんを食べ終わり、包みをくしゃくしゃ音を立てて丸めて、立ち上がった。お茶、飲みたいからうれしいけど、そうじゃなくないか?
 今日は学校終わりに待ち合わせをして図書館で一緒に勉強をした。テストが近いから本当はまたすぐに家に帰らないとと思ってはいたのだけど、図書館では話もできなかったし、コンビニで肉まんを買って公園に寄り道をすることにしたのだ。それまでは普通に楽しく話もしてたと思う。寒いから肉まんおいしかったし、もうしばらく帰りたくないなと思っていた。
 食べ終えた肉まんの包みを畳みながら、少し前のことを振り返っても、いつも通りだったと思う。だから、おかしいとしたらわたしではなく弓場さんの方だ。
 彼女が肉まんを食べているときにキスする男が存在していいのだろうか。しかもファーストキスを、だ。普通に考えて絶対おかしいと思うのに、弓場さんはおかしいと思わなかったのだろうか。こうして一人にさせられると混乱してしまう。変な趣味でもあるんだろうかとか、あらぬ疑いまで生まれる。
「ん」
「ありがとう」
「寒いな」
 もう夕暮れも終わりかけだ。橙色をしていた空ももうほとんど紺色になってきている。手渡されたお茶が温かい。
「……さっきの」
「悪かった」
「そういうことじゃないんですけど」
 深々と頭を下げられると、怒る気も失せる。そもそも怒りたいわけじゃないし。理由が知りたいのだ。
「なんで、……食べてるときだったんですか?」
「かわいいと、思ったから」
「え?」
「いや、その、したあとに、おかしかったとは、思って、その、反省している」
「耳、真っ赤ですよ」
 下がった頭の横に見える耳が赤いのは、寒いからだろうか。それとも。そう思って触れてみると、熱がこもっている。
「やめろ」
「だって」
 ようやく顔を上げた弓場さんは、なんとも言い難い表情だった。恥ずかしいのか、困っているのか、わからないけど、きっとみんなが知らない顔をしている。
「……悪かったよ」
「次は、何も食べてないときに、してください」
「わかった……」
 好きな人に、かわいいと言われて嬉しくない女などいない。いつも言ってくれるわけじゃない相手なら特に。もうどうでもよくなった。この先もっと長い時間一緒にいたら、またそういう機会もあるだろう。今日は今日で忘れられそうにない思い出になったから、それはそれでありかもしれない。もらったお茶が冷める前に、今日は帰ってまたテスト勉強をがんばろうと思えた。