ラーメン屋に入って、彼女は慣れたように、餃子とビール、レバニラ炒めを注文する。ラーメン屋でラーメンを頼まないのはなんだか変な感じがするのは、俺がまだ子供だということなのだろうか。
「拓磨も好きなの頼んでいいからね」
「ああ」
「今日も疲れたー。ごめんね一人でお酒頼んで」
「別に」
彼女と付き合い始めたのは俺が高校二年、彼女が高校三年の時だ。ずっと身近にいた彼女を好きだと自覚したのは、今思えばかなり遅かったと思う。大学へ行ってしまったら、彼女が遠くなる気がして、そこで初めて、彼女への気持ちがどういったものなのかに気が付いた。伝えたときに、今更って笑う彼女のことは、ずっと忘れられない。
幼い頃からあたり前に隣に居た彼女を、恋愛と繋げるのは簡単なようで、難しかった。同世代の連中が、誰がかわいいだの好きだの言っていてもピンとこなかったのは、もうずっと昔から、自分の中に彼女が居座っていたのに気づけなかったから。一生大切にしたいと思える人が、こんなに近くにいるなんて、幸福なことだと思うし、彼女も俺のことを同じように思ってくれることに、幸せを感じる。
「早く一緒に飲めるようになればいいんだけど」
店員がつまみと一緒に瓶ビールを運んでくる。まだ飲んだことのない黄色い飲み物は、あまり美味しそうだと思わないけど、彼女が飲んでいるのを見ると、ひとくち欲しいなどと言いそうにもなる。
メニューを読みながら、つまみやアルコールがこんなにあるもんなんだなあと思う。ラーメン屋でラーメンと餃子以外を見ることもなかった。食べたことがないものを頼んでみようとも思える。それは彼女と一緒だから。
「何か頼む?」
「ウーロン茶ともつ煮」
「もつ煮いいね! 食べたい! ラーメンは後で平気?」
「後で食べるのか?」
「え? 食べないの?」
いわゆるシメというやつなのか。未知の世界だ。
「食べるなら」
「半分こしよ」
にこにこと言う彼女はもう一杯目のビールを飲み干していた。一気に飲むと酔いが回るなんていいながら、それをするからおかしい。
「食えるのか?」
「食べたいの」
彼女は疲れた疲れたと、抽象的なことは何度でもいうけど、具体的な話はしてこない。大学が大変なのか、バイトが大変なのか、何のことなのかすらわからない。俺はそんなにも頼りないのだろうか、そう思うこともあるけれど、話を聞くだけが彼女の役に立つわけではないし、彼女が言わないことを無理に聞く気にもならない。ボーダーのことを言えない俺と同じだと思って気にしないことをしている
「あー、でもチャーハンも捨てがたい。ここの美味しいんだよ」
「おい、よそ見するな」
「ごめんごめん。ありがとう」
手酌でビールを注ぎながらメニューを読むなんて。そう思って手を貸せば、また、嬉しそうな笑顔を見せる。
「未成年にお酌させるなんて贅沢だわ~」
「もう酔ってるのか」
「酔ってるかも」
ため息を軽く落とすが彼女は気にも留めず、店員に俺の分の追加注文を頼んでいた。もう瓶が軽くなっている。餃子とビールの気分! と言っていたはずだが、まだ餃子すら来ていない。
「実は、待ち合わせ前に飲んでたんだよね」
「……待たせて悪かったな」
「んーん。授業長引いちゃったの仕方ないし気にしてないよ」
「それでご機嫌なのか?」
「そう。私は幸せ者だなあって思って」
想像以上に酔っぱらっているのだろうかと心配になった時、机には注文の品が並びだして、彼女はハイボールを追加する。
「餃子とビールはどうした」
「え? だってもうビール満足したから」
「そういうもんなのか」
「飲めるようになったらわかるよ」
いつだって彼女は俺のことを子供扱いする。昔からそうだ。ずいぶん大人になれたと思うのに、一生縮まらない年の差。彼女よりも見えている世界は広いと思う。そう思うのに、なんでか自分には見えないものが見えているような気がして、油断できない。いつだって彼女の前では背伸びをしている気がする。
「早く一緒に飲みたいなあ。ちょっと飲んでみる?」
「やめろ」
「冗談だって」
さっそく運ばれてきたハイボールを飲みながら、誘惑される。きっちりと断れば、彼女はしゅんとした顔でもつ煮を口に入れて、次にはパッと笑顔になる。アルコールで表情筋が馬鹿になっているんじゃないかと思ったけど、普段もそれなりにゆるかった。
「おいし~」
「うん。うまい」
「拓磨が成人したら、また来て一緒にお酒飲もうね。最高だよ」
そう言ってハイボールをぐびっとひとくち。成人するまであと一年。あたり前のように一緒過ごしてきて、付き合ってからもそれなりに一緒にいて、これからも、一緒にいる未来を描く彼女の期待に応えたいから、どうかそれなりに、自分も酒に強ければいいなと願った。
ラーメンもチャーハンも食べると言った割に、どちらも二口、三口でもう満足した彼女に呆れつつも、渡された皿を平らげた。レバニラをほとんど一人で食べていたし、この量は二人で分けるには少し多かったのかもしれない。まあ食べられない量ではなかったからいいのだけれど。
「ほら、釣り」
「あげる」
「もらえるか」
酔った彼女は食べ終えて店を出ようかという時に、財布から万券を取り出し払っておいて。と言い残しトイレへ立った。仕方ないそのお金で支払いをしたけど、会計は五千円もしていない。半分以上の釣銭をどうして簡単に人に渡そうとするのか。
「ほら、手出せ」
にこりと笑って腕を絡めてくる。手を繋ごうと思って手を出せと言ったわけじゃない。仕方ないので彼女が来ているパーカーのポケットにお金を突っ込んだ。
「えっち」
「馬鹿言え」
「このあとうち来る?」
「……」
「酔っ払いは嫌い?」
思ってもいない癖に、そう言おうとしたけど、彼女はあまりにも寂しそうな顔をしているから黙った。今日は本当に疲れてどうしようもないのだろうか。酔っぱらってこんなにも情緒不安定になるとは珍しい。
酔っぱらった彼女は年の差を忘れさせてくれるから、好きだ。そういう気持ちを込めてくちびるを重ねた。彼女の不安そうな表情は一気に明るくなって、ずっとそばにいてね、と言われた。
「コンビニよろっか」
「ポケットの金、しまった方がいいぞ」
「え? うわ、すごい! わたしお金持ち」
「……世話が焼ける」
大きくため息をつくが彼女は気にも留めない。にこにこと笑って酔っぱらう彼女は幼く見える。子ども扱いするように手を引いて、少し先にあるコンビニを目指して一緒に歩いた。