バレンタインデーに、チョコレートをもらった。くれた女の子は時々一緒に帰るだけの仲だ。期待していなかったのと言えばそんなことはない。やさしいし、きっとくれるのではないかと、かすかに期待をしていた。でも、それが好きという感情なのかは、戸惑うしかできなかった。
「辻ちゃんも隅に置けないね〜」
「……そんなことはないです」
 作戦室に行くとすでに来ていた犬飼先輩がチョコレートを広げていた。毎年のことながら、すごい。これだけの量を受け取る器量など、自分にはない。
 今年も差出人不明のものをもらったのかと聞かれ、いつも通り机に出そうとしたとき、あの子にもらったチョコレートを意識しすぎて、犬飼先輩に「本命でももらった?」とバレてしまった。恥ずかしかったけど、犬飼先輩なら何かいいアドバイスをくれるかもしれないと少し思って、もらった時のことを話した。
「辻ちゃんはその子のことすきなの?」
「……わ、かんないです」
「ふーん。そっかぁ〜」
 にこにこと笑みを浮かべている犬飼先輩は、どこか不気味に感じた。心を見透かされているような不安になる。でも、自分でも答えの出ていない問題に、一体どんな答えが潜んでいるというのか。
「こんなにいいのもらったなら、辻ちゃんもお返し奮発しないとだね」
 お返し。その一言にぎくりとした。今までは差出人不明だったりボーダーで義理チョコしかもらっていなかったから、返さなかったり犬飼先輩に便乗させてもらって済ませていたけど、今回は、そんな訳にいかない。
 どうしたらいいか、相談しようと思った矢先、ひゃみさんが作戦室に来てしまったので、会話を切り上げた。クラスが違うとはいえ、同じ学年のひゃみさんに知られるのは、ちょっとどころじゃなく恥ずかしい。


 一か月なんてあっと言う間だった。じりじりと迫る日付が恐ろしかったけど、なんとかお返しを用意して、当日、そわそわしながら学校へ行った。
 普通にしていればいい。そう思うのにどうしても頭の片隅で意識してしまう。帰り道は一緒になれるのだろうか。一緒に帰るつもりでいたのだけれど、約束をしたわけではない。そう考えると急に不安でいっぱいになった。
 あの子もこういう気持ちだったのだろうか。バレンタインの日、下駄箱で声をかけてくれたのは、こんな気持ちからかもしれない。あの帰り道はなんだか気まずくて、でも嬉しくて、何かを話した記憶はないけど、いい雰囲気、というものだったように思う。俺がこんな性格だから、帰り道に話さないことは珍しくもない。あの時は好きと言われたわけでもないのに、舞い上がってしまいそうな自分を抑えるのに必死だった。
 授業は全然頭に入ってこないまま、放課後を迎えてしまった。いつも通り早く支度をして本部へ行こうと思っていたけど、あの子のことが気になって動きがゆっくりになってしまう。
 好きなのか、一ヶ月の間、ずっと考えても答えが出なかった。でもきっと、もうこれが答えなんだと思う。あの子と一緒に帰りたい。もっと話をしてみたい。恥ずかしそうにするところとか、楽しそうに笑う顔とか、もっと、みてみたい。
 ふつふつとそんな気持ちがまとまって、いてもたってもいられない気持ちになってきた。伝えなきゃと思ってあの子を探したけど、もう教室にはいなくなっていた。勝手に待ってくれていると思っていた自分が恥ずかしい。バレンタインのチョコレートをもらったくせに、何も言わず示さない俺に愛想をつかせた可能性も十分にある。せっかく用意したお返しを、渡さなくては。急いで教室を出た。



 チョコレートをあげたとき、好意が伝わるようなことを言ったものの、辻くんからは特に何もない。はっきり何かを伝えたわけではないし、ボーダーが忙しい辻くんに恋人になって欲しいだなんて言うつもりも毛頭ない。女子と話すのが苦手な辻くんと今みたいな関係をもう少し続け、ゆくゆくそうなれたら嬉しい。そんなレベルの気持ちだ。恋愛経験が豊富なわけでもないわたしが、辻くんをリードなんて無理だし、かといって辻くんがリードしてくれるのも想像がつかないし、今のわたしたちにそういうことは早いと言う気がしてならない。
 ホワイトデーのお返しを期待していないとは言い切れないが、貰えると思っているのも恥ずかしくて、いつも以上に辻くんを視界に入れないように過ごした。今日、ボーダーの任務とかでお休みなら良かったのに。
 放課後は友達がひまなら一緒にドーナツでも食べて帰りたかった。だけどこんな日にそんなことをしたいと言っても賛同してくれる友達もいなくて、仕方なくすぐ教室を出て家路についた。一人でもどこかへ寄り道をすればよかった。それができないのは、やっぱり、心のどこかで辻くんと話せることを期待していたのかもしれない。
 急に肩を掴まれてびっくりした。少し息の上がった辻くんがそこにはいて、顔が真っ赤だ。その姿を見て、こちらの体温も上昇していく。
「辻くん……」
「あの、ごめん。その。……一緒に、帰ろう」
「う、うん」
 隣に立つ辻くんは額の汗を拭う。走って追いかけてきてくれたのだ。考えないようにしていたけど、いつもはすぐ帰る辻くんが教室に残っていたのは、他にもチョコレートをもらっていてそのお返しをするためじゃないか、そんなことを考えてしまって、嫌で早足で帰宅していた。でも、そうじゃなかったのかもと、期待でいっぱいになってしまう。
 ドキドキと騒がしくなる心臓を押さえ込むようにして、大きく息を吸って吐いた。そしたら隣の辻くんも大きく息を吐いたから結局ドキドキがおさまることはなかった。
「えと、あ、の。……」
 辻くんはまだまだ赤い顔のまま、カバンから青い包みを取り出す。もらえたらいいなと思っていたもの。純粋にうれしい。
「……何がいいのか、わかんなくて、口に合うと、いいんだけど」
「うれしい……あ、りがとう」
「それと、その」
 目はずっと合わない。いつものことだ。何かを言おうとしてくれているので、立ち止まったまま言葉を待つ。一緒に帰ろうは、もう聞いた。
「……これからは、もっと、その」
 前髪が短いから顔はよく見えているのに、表情からは気持ちを汲み取れない。でも、辻くんの緊張がすごく伝わってきて、体に力が入ってしまう。
「もっと、知りたい、って、思って」
「……うん」
「あ、えっと、嫌じゃなかったら……急に、こんなこと言ってごめん」
「わたしも、もっと、仲良くなりたい」
「え?」
「言い出したの辻くんの方でしょ」
 たいしたことじゃなくてよかった。つられて緊張してしまったけど、それくらい、わたしだって思ってる。チョコレートをあげた理由だってそれだ。同じ気持ちで嬉しい。安心で力が抜けていくのを感じた。
「好きです」
「え?」
「その。えっと、そういう意味の、もっと知りたいってこと、なんだけど……」
「……」
 頭の中が真っ白になる。そんなこと考えていたなんて、想像もしていなかった。だって、辻くん、彼女欲しいとか、思ってないと思ってた。ボーダーで忙しそうだし、それに、なんか、あんまり男子って感じがしていなかったというか、女の子に対して、下心みたいなものとか、持ってないって勝手に思ってた。
「わたしも、好き……」
 どうしていいか、よくわからない。これ、付き合うとか、そういう話なんだろうか。辻くんがどう思ってるのか、全然読めないまま。
「……付き合ってくれますか」
 続いた言葉に一生懸命頷く。顔から火が出そうだ。こんなことになるなんて、全く思ってなかった。付き合う、と言っても、どうすればいいんだろう。もう、さっきまでどう接していたのかすらわからない。
「……帰ろうか」
「うん」
 どうすればいいのかわからない。でもきっとそれは辻くんも同じだと思うし、これからのことは、これから一緒に考えていきたい。