第一志望に受からなかったら、会うのはやめようと決めていた。落ちたなんて連絡をするのも気まずいし、そんな中会うのはもっと気まずい。蔵内くんの言葉の意味を考えてみるけど正解にはたどり着きそうになくて、ただ純粋に、お返しをしようと思ってくれただけだと言い聞かせた。期待なんて、よくない。
「あ、お待たせ……」
「お疲れさま」
「ごめんね、近くまで来てもらって」
 自分の受験番号が合格者の中にいることを確認して、一番に連絡した。嬉しくて、共有したくて、おめでとうと言って欲しかったから。
 やり取りは数回で終わり、会う日はまた落ち着いたら、と言っていたのだけど、なかなか落ち着かなかった。手続きとか引っ越しとかで、やることがいつまでも終わらなくて、思うように時間が取れなかった。
 それでもなんとか時間を作って、ボーダーで忙しい蔵内くんとも予定を合わせて、少しだけ、会えることになった。
 そんなに時間もなかったし、二人でどこかお店に行くのも恥ずかしくて、家の近くの図書館で待ち合わせすることにした。あたたかくなり始めてはいたけれど、日が傾き始めた時間は、思っていたよりも寒かった。
「中入ると話できないし、近く歩こうか」
 制服じゃない蔵内くんは、ずっと大人びていて、もう高校生じゃないことを実感させられる。高校生に毛が生えたようなわたしは、このまま都会の大学生に本当になれるのだろうか。
 図書館の回りはちょっとした遊歩道があって、近所の人の散歩コースや、ランニングコースになっている。寒かったけど、嫌じゃなかった。向かい合って座るより、隣にいる方が安心する。
「合格おめでとう」
「ありがとう」
 蔵内くんだって第一志望の大学に合格しているのに、わたしばかりが特別扱いされているようでムズムズする。でも嬉しい。特別扱いして欲しい。
「これ、合格祝い」
「……ありがとう」
 わたしが卒業式に渡したのは、ほんの気持ちのお礼でしかなかったのに、こうして律義にお返しをしてくれるところも好き。本当に合格できてよかった。最後にまた会えて、よかった。そう思っていたら、こみ上げてくるものがあったけど、頑張って堪えた。
「嬉しいけど、さびしくなるね」
 また、あの日のように蔵内くんはつぶやいた。その言葉にわたしが望む感情は乗っていないとわかっているのに、好きで好きで、どうしようもなかった。
「また、いつでも会えるよ」
 強がりで言った。だから我慢していた涙はこぼれ落ちてしまった。卒業式の日だって、泣かなかったのに、なんでこんな時に。
「もらい泣きしそう」
 うつむいていたから表情は見えないけれど、きっと蔵内くんはいつものようにやさしく笑ってくれている。こんなつもりじゃなかったのに。そう思ってもどうしようもできなくて、変な声が出ないよう必死に下唇を噛んだ。
 一生会えなくなるわけではないけど、きっと一生会わないのではないかと思う。だって、同じクラスにならなければ、隣の席にならなければ、交わることのなかった人間関係だ。交わった後の直線同士は、その後、どうしたってもう一度交わることはない。


 好きだと言わなかったことを、少しだけ後悔した。伝えるだけでいい、言ってしまえばよかった。きっと蔵内くんはいつものようにやさしく微笑んで「ありがとう」と言ってくれたはずだ。最後にそれくらい、欲をかけばよかった。
 泣いてしまった恥ずかしさから逃れるように、引っ越しの準備がまだあるからと言い、別れの挨拶をした。無理矢理涙を押し込んだ顔で手を振ったのが最後になったことが、一番の心残りだった。困ったような、でもそっとしておいてくれるやさしさを感じて、満足してたけど、満足しきれてはいない。
 あんな風になるなら、卒業式の日で最後にしておけばよかったとさえ思ったりもした。けど、もらったパスケースを見る度に会えてよかったと痛感して、これを蔵内くんが選んでくれたことを思うと、胸がはちきれそうになった。新生活が始まれば、きっとこんな思いは忘れてしまう。早く、思い出にしてしまいたかった。また会えるとは言ったけど、会いたいとは言えなかった。
 入学式の前日は、親も一緒に入学式へいくからと、実家にいた。明日、あのおろしたてのスーツを纏って、大学生になる。そう思うとわくわくした。でもやっぱり少しだけ寂しかった。この街を離れる。そう希望したのも決めたのも自分自身だけど、未練が、とても残っていた。
 二度と帰って来ないわけではない。そう思っていてもどうしてもセンチメンタルな気分になってしまい、夕方、三門市内をふらふらとあてもなく歩いた。晩ご飯までには帰らないといけないと思いつつ、ずいぶん遠くまで来てしまった。
 静まり返った公園のベンチで休憩する。お茶を買うか悩む。早く家に帰ればいいのだけど、帰ったら今日が終わってしまう気がして、名残惜しい。
さん」
「……く、らうちくん」
 びっくりした。すごく腑抜けた顔をしていたと思う。知り合いに遭遇するなんて、思ってもいなかった。そしてなんでよりによって蔵内くんなのだろうか。
「今ボーダーからの帰り。まだ三門にいたんだね。びっくりした」
「……うん。明日、入学式に親と行くから、今日が最後の日」
「そうだったんだ」
 蔵内くんは隣のスペースに腰を下ろした後、遠くにいる人影に手を振っていた。誰かと一緒だったのだろうか。
「誰か一緒だった? 大丈夫?」
「ボーダーの仲間だよ。俺たちも明日入学式だから、早めに帰ってきたところ」
 静かな場所を求めて歩いたせいで、ここは危険区域に近い。何も考えていなかったけど、蔵内くんに会いたかったみたいで恥ずかしい。
「わ、わたしも、そろそろ帰ろうと思ってたから、帰ろう!」
 慌てて立上り、今ならさっき別れた友人にも追いつくだろうから提案するけど、蔵内くんは座ったままだ。
「……少し、話せないかな」
「だ、い、じょうぶ」
 蔵内くんのやさしい口調に、またベンチへ腰をおろした。隣に並んで座っているから、顔は見えない。何を考えているのだろうか。ああ、蔵内くんに会うのなら、もう少しいい服装をするんだった。
「この前は、その、平気だった?」
「え、うん。大丈夫だよ」
 恥ずかしい。心配させてしまっていたなんて、思ってもいなかった。忘れてくれてよかったのに。
「連絡しようか悩んでたんだけど、ちょっとしばらく忙しくて」
「わたしも、引っ越しで忙しかったから、全然、気にしないで。大丈夫だったし」
 好きだって気持ちがぶり返す。蔵内くんは、やっぱりやさしい。でも、今こんな風にやさしくされたら、未練でいっぱいになってしまう。
「あれが最後になると、思ってなかったのは本当。もっと遠くに進学した友達もいるから、それを思えばすぐ会えるって思ってた。けど、それってさんも俺に会いたいと思ってないと、無理だなって気が付いて」
「……え?」
 会いたいと、蔵内くんの方は思っているって話? よくわからない。でも、悪い話って感じではない。
「今日、会えてよかった」
「また、いつでも会えるよ」
 長期休みになればわたしは三門に帰ってくる。きちんと帰る場所もある。いつでも会える。会いたいって、わたしだって思ってる。
「会ってくれる?」
「うん。もちろん!」
 その言葉に、どんな感情が込められているか、聞く勇気はなかった。でも、また会いたいとお互い思っていて、また会える。それだけで、十分だ。胸の奥のチクチクしたものが、あたたかいものに変わる気がした。蔵内くんといると、落ち着く。卒業式の日からはずっと苦しい恋だと感じていたけど、好きだと自覚したときは、ずっとこんな気持ちだったのを思い出した。
「よかった」
 顔が見たくて横を向けば、蔵内くんもこっちを見ていて目が合った。やさしく笑う、その顔が、きっとこの先もずっと、好きだ。
 帰ろうかとうながされるまま、ベンチから腰を上げる。明日からはもう高校生ではない。不安だしさびしかったけど、今日、蔵内くんと会えて、楽しいこともきっとたくさんある、そう思えた気がした。