図書館で、窓際に並んで勉強をしてた。隣に並んでいるのは、向かい合うより教わりやすいから以外に理由はなかったはずだ。それなのに、少し前から、机の下でわたしの左小指を弄ぶように触る。他の利用者からは見えないとはいえ、公共の場で、こんなこと、いいのだろうか。
 すぐ飽きると思って見ないふりをしていたけど、消しゴムを使うために手を振り払おうとしたら、ぎゅっと手を握られてしまった。
 なんで、そう視線で訴えてみるけど、変わらず水上くんは澄ました顔をしている。この男、こういうところある。ずるい。嫌じゃない。でも今はこの左手に用があるんだ。
「消しゴム、つかうから」
「ん」
 そう言ってシャープペンシルから手を放し、わたしのノートに手を添える。これでいいだろと言うことらしいが、一体いつまで左手は捕まったままなのか。
「もうそろそろ終わりにする?」
「せやなあ」
 相変わらず澄ました顔で返事をする。けど、彼のノートを見れば、もうやることがなくなっているのか落書きがしてある。終わったなら、教えてくれたらいいのに。邪魔しないように配慮してくれた気もするけど、左手を捕まえている方が邪魔だったと思う。
「これ終わったら帰ろう」
「おう。がんばり」
 そう言って今度は左手を解放してくれた。さっさと終わりにできるならそれがいい。わからない訳ではないから、時間はかかるけど自力で解ける。そう思いながら、最後の一問を解く。
「ねえ」
「んー」
「何でこっち見てるの?」
「別に」
 大人しくしていたと思えば、頬杖をついて、じっとこちらを見ている。落書きにも飽きたのだろう。というか、たぶん覚えていた詰将棋の答えを見つけてしまってやることがなくなったんだ。
「もう終わるから」
「時間かかりすぎやろ」
「難しいんだから仕方ないじゃん」
 最後の問題が一番難しくできている。だいたいそういうものだ。きっと数分なのに、そんなにつまらなそうにしなくたっていいじゃないか。文句も言いたくなる。
「はあー、待たされて疲れたから、ちゃんにジュース買うてもらお」
「違うでしょ。がんばってえらいからちゃんにジュース買うてあげよーでしょ」
「関西人は簡単に奢ったりせえへんで」
「かわいい彼女には奢ってくれるでしょう」
「かわいくないことばっか言う彼女には奢らへん」
 つい昨日、ココアを買ってくれたはずなのにもう忘れたのか。まあそれだけひまで拗ねていると言うことなのだろう。でも正直、わたしだって意地悪で放置しているわけではない。この課題さえ終わらせれば、一緒に図書館を出て、好きなだけおしゃべりができるのだ。わたしだって、我慢してる。
「もうやーめた」
「あと少しやろ? ええの?」
「ええんです。もう集中できないし。あと一問くらい家でやる」
 一緒にいるのに何もできない状況で、つまらない気持ちでいるのは水上くんだけじゃない。あんな風にちょっかいをかけられてはこちらも勉強なんて、もうしたくない。
 そうと決まれば机の上を片付けて、図書館を出る用意をする。まだ思っていたより少し早いし、カフェとか寄りたいな。上着を着て荷物を持って、図書館を出る。風が冷たい。
「寒いー」
「冬やからなあ」
 そんな当たり前のことを言わないで欲しい。一瞬で冷え切った手を首元に当てれば「殺す気か」と怒られた。今日の仕返しができたようで満足してにこにこしていれば、「何が楽しいねん」とあきれた後に、手を取ってくれた。
「あったかい」
「あったかいもん飲み行きますか?」
「行く!」
ちゃん頑張っとったから、しゃーない奢ったるわ」
「え? いいの? 本当に?」
「何でそんな反応なん? 素直に喜んどき」
 待たせてしまって悪いと思っていたから、わたしが今日は奢ろうと思っていた。昨日奢ってもらっているし。だから申し訳ない気持ちになって、見上げるけど、水上くんはいつもの澄まし顔だ。
「……いいの?」
「ええよ。給料もろたし」
「大きいのでも?」
「好きなん頼み」
「そんなに甘やかしても何にもないよ」
「もう甘やかしてもろたからええよ」
 なんだそりゃ。あんなのでいいのか。そう思ったらおかしくて、吹き出してしまった。一人にやけ顔が抑えられずにいれば、恥ずかしそうにしている。かわいい。
「かわいい」
「奢るんやめるわ」
「えーなんで。それはずるい」
「にやけ顔やめーや」
 ぎゅっと頬を摘まれるけど、そんなことでニヤけるのは止まらない。でももうすぐお店に着いてしまうから、こんな顔では恥ずかしい。
「もうからかわないから奢って」
「そんなに言うならしゃーないな」
「敏志くんかっこいいすき」
 繋いでいた手が離れてしまい、背中を向けられる。コーヒーチェーンに入るから一列になっただけなのだけど、真っ赤な耳と首をわたしは見逃さなかった。いつも余裕で賢くて大人っぽいところも好きだけど、こうして時々見せる油断しているところはもっと好き。わたしの前だけでは、余裕を無くしてほしい。