夏休みがきた。扇風機から風を浴びながら、今日はどのくらい勉強するか考える。受験生と言う肩書ではあるものの、推薦で決まればそれまでだし、いまさら内申書の内容はもうどうにもならない。全く勉強しないと言うのはよくないのは十分にわかっているけど、こうも暑いとやる気なんてすぐになくなってしまう。
 アイスを食べたら勉強しよう。そう決めて、冷蔵庫へ向かった。お母さんのことだから、きっと何か買い置きをしてくれているはずだ。甘ったるいバニラとか、チョコクッキーが食べたい。期待に胸をふくらませながら開けた冷凍庫には、食材しか見当たらなかった。八月なのに、一個もないってそんなことがあるのか。昨日の夜お父さんが食べてた気がしてきた。それが最後の一個だったと思うと腹立たしい。帰りに買ってきてって連絡しよう。でもそうすると、お父さんが帰る時間まで、アイスが食べられないってことだ。それは困る。わたしは今アイスが食べたいし、今アイスを食べなければ勉強は始まらない。お母さん帰りにアイス買ってきてくれないかな。お母さんも今日帰り夕方になるんだっけ。悔しいけど、お昼ご飯も何か作るのは面倒だから、コンビニまで行くか。暑いんだろうな、いやだな。

「あっつ」
 玄関を出て鍵を閉めて、たったそれだけで汗がにじむ。コンビニに行くだけとは思ったけど、日焼け止めを塗ってよかった。汗で流れそうだけど。楽な格好でもいいかと思ったけど、そうなると外に出るのが億劫になりすぎて、お気に入りのサンダルを合わせられるくらいの服に着替えた。サンダルが履ける時期のうちに、たくさん履いておきたい。そう考えたらカンカン照りも悪くない気がした。
 家から一番近いコンビニは、正直品ぞろえが悪い。ちょっと離れたところにお気に入りのコンビニがあるから、そこまで行くことにした。自転車は出すのが面倒だったのと、サンダルでは不安定だから歩いて向かったけど、ちょっと歩いただけで後悔した。帽子はかぶったけど、日傘とか欲しい。焦げる。日差しが腕に刺さってくる。午前中とはいえもうじきお昼になる。夏休みになって、外へ出ることが減ってしまったせいで、一気に弱くなった気がする。元気に部活動してる人たち、考えられない。倒れちゃうよ。
 少し離れてるとは言っても十分と少しで着く。時折現れる日陰に救われながら、夏って、こうだったなあ。なんて思い出した。夏の楽しい思い出って、夜が多い気がする。日が沈むのが遅くて、夕方から遊んでもまだ暗くないとか、夏祭りとか、花火とか。こんな暑い中外に出るなんてどうかしてるもの。目当てのコンビニが見えてきた。一刻も早く、あの冷房の効いた四角い建物に入りたい。でももう体力が奪われてしまったので走ったりは無理。そんな時、声をかけられた。
「なんか、久しぶりだな」
「ほんと。毎日会ってたのにね」
「コンビニ行くところ?」
「そう。村上くんも?」
「うん。家ここから近いの?」
「うーん、まあまあかな」
「そうか」
「村上くんはこの辺なんだっけ」
「うん」
 二人並んで、コンビニに向かう。ちゃんとした服でよかった。もうこれ以上体温は上がらないと思っていたのに、顔の火照りが酷い気がする。当たり前なんだけど、村上くんも私服だ。ラフな格好。レア。
「お昼買いに来たの?」
「いや、そうめんの予定だったのに、めんつゆがなくなってそれだけ買いに」
 じゃあすぐ買って戻らないとだね、そう言おうとしてやめた。わたしとしては一秒でも長く一緒にいたいから。
「涼しー」
 コンビニに入ると汗がひんやりとして気持ちいい。がんばって歩いた甲斐があったと言うもの。村上くんにも会えたし今日はついてる。幸せに包まれてる感じ。
 村上くんと離れて冷蔵のお弁当コーナーを眺める。そうめんくらい家で作ればよかったかな。でも今コンビニに来ていなかったら村上くんには会えなかった。お昼ご飯は冷やし中華に決めて、アイスの冷凍庫をのぞく。どれにしようか。甘ったるいバニラの気分が吹っ飛ぶほどの暑さ。帰りに食べるなら棒タイプがいいかな。
「アイス買うの?」
「うん。甘いやつの気分だったんだけど、今は氷系も捨てがたくて」
「外暑いからな」
 スイカバーに決めて手に取る。村上くんはもうめんつゆを買ったらしくてビニール袋をぶら下げている。待ってくれてるんだ。嬉しい。でも申し訳なくて、冷やし中華を手に取って急いでレジに運んだ。
「夏休み、忙しい?」
「え? どうだろう。かなりだらだらしちゃってるしなー。宿題もまだ残ってるし」
「じゃああとで、一緒に宿題しよう」
コンビニを出て、手を振らねばと思ったのだけど、村上くんは急いでいる様子もない。住んでいると言っていたボーダーの基地で、誰かと一緒にお昼を食べるのだと思っていたけど、そうではないのだろうか。
「うん! いいね」
「連絡先、教えて」
 携帯電話を取り出して、連絡先の交換をする。コンビニのビニールは水滴が付き始めている。暑いけど、心地よくてずっとここで話をしていたいと、願ってしまう。
「あとで連絡する」
「うん。ありがとう」
「それからこれ」
 キリンレモンを一本差し出される。びっくりしていれば、帰り道も暑いだろうから、って。おそるおそる受け取ったら、村上くんは自分の分のキリンレモンを開けて、ひとくち飲んだ。とてもおいしそうに見える。
「ありがとう」
「アイス溶けちゃうから、また」
「うん。またね」
 村上くんは振り返らずに歩いて行った。正直、名残惜しいけど、これからはいつだって連絡をとれるし、会おうと思えば会うことだってできるかもしれない。すごいことだ。
 村上くんの連絡先を知らないことに気づいたのは、夏休みに入ってからだった。席が前後になってから、仲良くなって、友達にはどうなの? とか聞かれて、まんざらでもないわたしがいた。でも今の関係が好きだし、村上くんがどう思ってわたしと話しているのかわからなかったから、気持ちを認めるのが怖くて先送りにしていた。そして夏休みになり、会えないことを知り、なんで連絡先くらい聞いておかなかったのかと後悔をした。それに、新学期になれば席替えで離れるかもしれない。そうしたら、また村上くんは近くの席の女子とわたしみたいに仲良くなって、わたしとは友達なのかも曖昧な関係になってしまうのではないかと、おびえた。今まで気持ちさえ認めず、何もできなかったのは事実だし、そうなっても仕方ないと思った。そうして記憶の奥へ追いやって、考えないように過ごしていた。
 もらったキリンレモンの水滴が手の体温を奪う。好きな人がくれた、やさしさ。もったいなくて飲めないなと思いながら、袋にしまった。代わりにスイカバーを取りだして開けた。少し溶けている。わたしも帰ろう。そして村上くんからの連絡を楽しみにちゃんと勉強もして、いい夏休みにしよう。
 帰り道の方がきっと気温は高いのに、どこかさわやかに感じられて、今年の夏はキリンレモンばっかり飲んでしまいそうだなって考えたりした。