憧れの人が、スナイパーに転向してしまった。噂では後からやってきた村上先輩に抜かれたからと言う話だけれど、そんなことで転向するのはちょっと理解できなかった。きっとあの人の事だから理由があるはずだとは思うけど、どうしてだと気軽に話しかけたりできる関係でもなく、噂以外の真相はわからないまま。
あの人に憧れて弧月を使うようになったし、到底無理だけど、いつの日か追いつきたいと頑張っていたのに、目標がなくなった。そうなればもうボーダーなんてやめちゃおうかって気持ちにもなるけど、とりあえず、マスタークラスまでは頑張ろうと思えるのは、時々見かけるあの人はやっぱりかっこいいし、スナイパーのあの人も、悪くないなって思うから。
「荒船さん珍しいですね、どうしたんですか?」
「先生に用事」
廊下で先輩を見つけた。二年のクラスの方にいるなんて、偽物みたいでびっくりしていれば、同じクラスの辻くんが話しかけている。この状況で横をすり抜けるなら挨拶くらいした方がいいだろうか。でも一緒にいるのが辻くんてのがまた、微妙だ。業務連絡を幾度かだけ伝えたことがあるけど、それ以外はしゃべったこともない。
どうしようかと悩みながらぎこちない足取りで歩いていれば、先輩とばっちりと目が合ってしまい、無言で知らんぷりはできない。ドキドキと高鳴る鼓動を抑えようと必死になりながら挨拶をした。
「お疲れ様です」
「おう。久しぶりだな」
「そうですね。あ、たまにはこっちの個人戦も顔出してくださいよ、ねえ辻くん」
「……そう、ですね」
挨拶だけで終わると思っていたのに、話しかけてくれたのが嬉しくて、てんぱって辻くんを巻き込んでしまった。案の定事故みたいな空気にしてしまっていたたまれない。とてもきまずい。
「もうマスターいったか?」
「まだです」
「筋はいいんだし、辻にでも見てもらえ。それで辻もそろそろ慣れろ」
辻くんの背中を軽く叩いてから、それじゃ、と用事が済んでいたらしい荒船先輩はカチコチの二人を置いて、さっさとその場を去った。辻くんも何も言わず気配を消して教室に戻っていたし、一瞬でとてつもなく疲れた。でも先輩に会えて話せたのが嬉しくて、気分はよかった。
筋はいい、その言葉をずっと脳内で繰り返しながら本部に行った。目標を失ったせいで、最近だらけていたことを思い出し、今日は真面目に訓練に取り組もうと思っていた。頑張っても男の子に追いつけるわけじゃないし、いつまでボーダーにいるかもわからない。まだ進学先を決めているわけじゃないけど、興味のある分野はたくさんある。大学は三門市を出ていくかもしれないし、出ていかないかもしれない。
「今日は早いんだな」
「え、先輩なんで?」
「お前が来いって言ったんだろ」
「言いましたけど、来る感じじゃなかったから……」
背後から唐突に現れるのは心臓によくない。今日一日で絶対一週間くらい寿命が縮んだ。憧れの人と話せて嬉しいし生きる活力だけど、心臓には負荷が大きすぎる。
「今日は向こうの合同訓練ないから、訓練見てやるよ。サボってた分しんどいからな」
「サボってはないです! ちょっとペース緩めてたって言うか、リフレッシュ期間と言うか……」
何で知っているんだろう。先輩がアタッカーの時だって、仲良くしてもらった記憶なんてない。挨拶をして、時々少し話をするくらい。いつだって荒船先輩の周りには人がいて、話しかけにくかったし、憧れの手が届かないような人だったのに。
「俺が見込んだんだから、マスターまではしっかり頑張れ。これから進路とか、いろいろあるかもしれねーけど、せっかくここまで来たんだろ」
わたしなんて周りの人に比べたら技術だってトリオンだって足りてないだろうけど、先輩に追いつきたくて一生懸命だったし、必死だった。その姿を知っていてくれた事実がすごく嬉しくて、泣きそうになる。先輩がスナイパーに転向したくらいで、その時の自分を捨てちゃ駄目だ。滲む視界をぐっとこらえて、頭を下げた。
「頑張るので、よろしくお願いします!」
顔を上げたら荒船先輩は満足そうに笑ってくれて、自然とこっちも笑顔になった。