みんなと別れて三分も歩かないうちに酔いが回ったらしく、気持ち悪くなってうずくまった。こんな時間に出歩いている人がいないのは幸いだけど、コンビニまでもう少しなのに情けない。くらくらする。水もないのにこれ以上歩きたくないし、胃の内容物を戻してしまいたい気持ちもあるが、こんなところでそんなことにはなりたくない。ふわふわした感覚に身をゆだねたくもなるけど、目を閉じてぐっと体中に力を入れる。
 そもそも今日はこんなに飲む予定じゃなかったんだ。大学の仲間での集まりは、いつも楽しくて、それぞれが自分の好きなペースで好きなだけ飲む。それがいつものメンバーでのいつもの飲み会だったのに、今日はメンツが違った。仲間内のメンバーが揃わないのもあって、何人か普段関わらないような人が来ていた。飲み会好きであっちにもこっちにも顔出してるような男が来ていて、最初は気にも留めてなかったけど、私がいつもそこそこ飲むと知ってから、煽ってくるようになった。むかついたからこっちもお前なんかに潰されたりしないとムキになり、ハイペースで酒を浴びた。帰るまではちゃんと意識もしっかりしていたし、みんなの前で気丈に振る舞って解散できたのだけど、結局この様だ。
 途中でペースがやばいなと感じたけど、たまたま近くにいた諏訪も同じようなペースで飲んでいたのに気が付いて、それが嬉しくてつい一緒になって飲みすぎた。煽ってきた男は、酔い潰してあわよくばセックスとか考えてたかもしれないけど、そんなことする最低な人間に、一体誰がホイホイついていくんだ。他にも女の子がいたのに、私に目をつけたのって、多分一番やれそうだったからだろうな、そう思うと本当にムカつく。飲み放題プランだったから会費は先に集めてたし、金も出してないくせに簡単にセックスできると思うなよ。何の収穫もなしに帰宅させたことに優越感。どうでもいいことを考えて気を紛らわせてたけど、やっぱりもう気持ち悪い。近隣に住む人ごめんなさい。この辺を歩く人もごめん。環境美化に配慮してる余裕、もうない。


「大丈夫かよ」

 急に声が降ってきて、背中に骨ばった手が添えられた。声だけで相手が誰だかわかって、心底安心した。逆流していくものに逆らうのをやめて身を任せているこんな姿で申し訳ないけど、有難かった。

「全部吐いとけ」

 返事もうまくできないまま、苦しさで涙がにじむ。こんなところ見られるなんて勘弁してほしいけど、隣にいてくれるのが嬉しくて仕方ない。今日一日、本当はちょっと強がりすぎたって反省してる。
 一通り落ち着いた後、水も持ってないから口もすすげないなと考えながらカバンからティッシュを取り出す。それなりに綺麗には出せたなと思いながら口を拭う。

「ほら、水」
「これ諏訪のでしょ? 私口付けたらもう飲めないよ?」
「やるから飲んどけ」

 三分の一くらい減っているペットボトルを出されて受け取ると、器用に蓋を外してくれた。諏訪だって同じくらい、いや、多分私よりも飲んでたと思うから、水は貴重だ。コンビニまで行ったら新しいの買ってあげよう。

「来るの遅くて悪かったな」
「いやいや、来てくれただけでちょっと嬉しかったよ。てか、男たちだけで誰かの家でまだ飲むみたいな雰囲気じゃなかった?」
「……さすがに俺はもう飲めねー」
「だよね」

 あははと笑って、吐けてすっきりしたのを実感する。まだお酒が残ってる感覚はあるけど、ほろ酔いの時みたいでちょうどいい。
 諏訪が隣で煙草に火をつけて、吐き出したものの臭さが誤魔化される気がした。どんだけやさしいんだろうと思ったけど、別にただ煙草が吸いたかっただけかもしれない。だからお礼を言ったりはしないけど、やっぱ諏訪っていいやつだわ、と、改めて思う。

「つーか、お前も飲みすぎ。加減しろよ」
「しかたないじゃん、売られた喧嘩は勝ちたいし」
「その発想がやべーわ。ちょっとわかるけど」

 自然と二人で歩き始めて、あともう少しだったコンビニに向かう。アイツ、お前の事持ち帰りそびれたって言ってたぞ、と、半笑いで言う諏訪も飲み会の最中に気が付いていたのかもしれない。そして、無理して一緒にハイペースで飲んでくれたのだろうか。

「あんなクソみたいな男、絶対ついて行かないわ」
「自分がたいして飲まねーのに女に飲ませるのは最低だと思うわ」
「諏訪のそういうところ好き。一緒に飲んでくれたから、今日の飲み会は楽しかったし」

 そう言ったらびっくりした顔で立ち止まるから、こっちもびっくりしてしまう。変なこと言ってないのに。くわえたままの煙草の灰がじりじりと傾く。もしかして諏訪も酔いが回って歩くのしんどいのかな。
 ゆっくりとした動作で煙草を手に持ち替えて、近付いてくる。なんだろうってあまり回ってない頭で考えたけど、答えが出る前にくちづけられた。口をすすいだとはいえ、吐いたばかりの女によくそんなことできるな。と、どうでもいいことが頭に浮かんでいた。

「私の口今絶対臭いのに」
「煙草吸ってるからわかんねーよ」

 せっかくキスをしたと言うのに、そのあと思いっきり煙草を吸い込んで、ムードもへったくれもないな。いや、そうじゃないか。そんなのどうでもいいことだ。今何でこうなったのかの方が問題だ。先に歩き出した諏訪の背中に、ついていきながら質問を投げる。

「……なんでちゅーしたの?」
「遅えよ。あほか」
「酔っ払って頭回ってなかった! 思考力が落ちた無抵抗の女子に手を出すなんてずるい!」

 急にドキドキしてしまう。全然嫌じゃなかった事実にもびっくりする。そうか、私今さっき諏訪のこと好きって言ったから。そういう意味じゃなかったのに、そういう意味に捉えたってこと? いや文脈的に全然違うでしょ。そもそも諏訪って私の事好きだったの? 今日だけの行動でもそう思うことは不思議じゃなくて、いいヤツって思ってたけど、それをまんざらでもなく受け取っていた私もそれなりに諏訪のこと、好きなんだなと気が付く。
 気まずいと思っていれば目の前に目的のコンビニが現れて、外にある灰皿に諏訪が煙草を押し付けた。それを見守って一緒にコンビニに入る。お互いもうさっきのことは知らんぷりだ。別にたいしたことでもない。でもいつもより少しだけ近づいて、触れそうで触れない距離に立った。



 コンビニから出た後、送るの面倒くせーなとぼやかれて、諏訪の家が近かったから、じゃあ諏訪の家に行くと言ってみたらまたびっくりした顔をして、なんで毎回そんなリアクションができるんだっておかしくなって笑っていたら二回目のキスをされた。好きだって言われたから、私もって答えて、手を繋いで諏訪の自宅アパートまで歩いた。
 場所は知っていたけど入ったことのない部屋は、想像よりも散らかってなくて感動した。コンビニで買った水をコップに入れてくれて飲んだ。諏訪って私の事好きだったのって野暮なことを改めて聞いたら、そうだよって言われて三回目のキスをした。コンビニで歯ブラシ買ったのに、まだ使ってなかった。私の口が本当に臭くないのかはわからなかったけど、諏訪が平気そうにしてるから、どうでもいいかと思った。
 目覚めてから昨夜のことを思い出すけど、そこそこにいちゃついて、眠くて仕方なくってそのまま眠りについた気がする。下着も脱いだ感じがしていないし、まあそうだよね、なんて思って、ちょっと残念な気持ちわいてきたりで、昨日まで自覚すらなかったけど、私ってかなり諏訪のこといいなって、好き、って気持ちがあったんだな、と再確認した。諏訪の彼女になったのだから、これからまたいくらでもそういう機会はあるだろうし、別に残念に思うこともないのだけど。そう考えたらちょっとにやにやしてしまって、まだ眠る諏訪を眺めていた。
 絶対二日酔いだと思っていたけど、吐いたおかげか結構大丈夫で安心する。諏訪も昨日は平気そうにしていたけど、大丈夫なのだろうか。内臓おかしいんじゃないかな。煙草も吸うし、早死にしそう。
 結局歯を磨いていないことを思い出して、先に布団を抜けた。水をかなり飲んだから、口の中がべたつく感じはなかったけど、やっぱり少しでも早く歯磨きをしたい。廊下についてるキッチンの蛇口をひねって歯ブラシを濡らしていると、起きたらしい諏訪がバタバタとトイレに入った。一瞬目は合ったのに、何も言わずどうしたんだろうと思えば、開けっ放しの扉から、うずくまっているのが見えた。そういうことか。
 歯ブラシを加えたまま、水を持って近寄って、背中をさすってあげる。昨日逆の立場だったこともあって、特になんとも思わない。やっぱり諏訪の内臓も人並みだったのか、なんて当たり前の事を思う。いくらボーダー隊員でも内臓までは鍛えられないんだなと苦しそうに嗚咽してる諏訪を見守った。


「……悪かった」
「気にしないで。自分家のトイレでちゃんと吐いてる方が断然マシだから」
「頭痛てー。完全に二日酔いだわ」
「昨日のうちに吐いた方がよかったかもね」
「あんだけ飲んで二日酔いないとかずりぃわ。……煙草、吸っていい?」
「どうぞどうぞ」

 部屋の中が煙草臭いかもしれないと、今更気が付いた。部屋に来たときは酔っていたし全然気にならなかった。そういえば、女子だけで大学の男子の誰がいいかみたいな話をしたときに、諏訪と仲はいいけど煙草吸うから嫌って言った気がする。その時からなんとなく恋愛対象外にいたはずなのに、今はそんなのどうでもいい。人の気持ちなんて一定じゃないなって、改めて思う。諏訪が私の事いつから好きなのかは知らないけど、こっちが勘付くくらいに優しくしてきたのは、昨日が初めてだった。
 あまりにも二日酔いが辛そうで、昨日の事忘れてたりしないよね? と不安になって、口を開いた時に、諏訪の携帯が鳴った。

「あーうるせー頭に響く。うわ、やべえ。忘れてた」

 諏訪は着信画面を見てからすぐに電話に出た。忘れてた、という言葉から何か約束があったのかもしれない。もうお昼近い時刻だし、私も早く帰らないとなのかな。

「わりぃ、いや、行く気はあるけど。大声出すな響く。そうだよ二日酔い。……飲まないつもりでも飲まなきゃいけねー時もあんだよ。その内顔出すからゆっくり昼飯でも食っといて」

 電話は手短に終わって、悪かった、と諏訪がつぶやいた。適当にボーダーの仲間と集まる約束をしていたみたいで、なんで来ないのかと言う電話らしかった。ボーダーの集まりじゃ、早く行った方がいいし、私も帰った方がいいと思う。でもまだ、ちゃんと確認していないことをそのままにしたら、明日から大学でどうしていいかわからなくなる。

「あのさ……」
「うん」
「昨日のことだけど」

 諏訪が煙草の火を消して、言いにくそうにつぶやく。照れてるわけでもなくて、悪い話みたいな空気に少しだけ、居心地が悪くなる。

「やってないよな?」
「え、うん。してない。と、思うよ」
「あー、良かった……記憶ないだけだったらどうしようかと思った」
「他の記憶はちゃんとあるの?」
「……あるよ。布団はいる間際くらいまでは、一応」
「そっか」

 それなら安心だ。あえて言ったりしないけど、それなりにキスしたりはしたし、付き合うって言葉も言ってくれていたから、それを丸っと落っことしていたらどうしようかと思った。

「……それで、これからどうするの?」

 帰った方がいいよね、って続きを言おうとしたら、びっくりした顔の諏訪が目について、言えなくなった。諏訪のびっくりした顔、かわいくて結構好きかも。

「これからって、そりゃ、普通に、と言うか、真面目に、お付き合いしていきたいと思ってます」
「え、そういうこと?」
「他にどういうことだよ」
「私が帰るかどうかの話。電話来てたじゃん、ボーダー行くんでしょ?」
「そっちかよ! あー頭いてぇ、くそ」
「私も真面目にお付き合いしたいです」

 笑ながらそう言えば、からかうなよって照れ臭そうに笑って、キスをされた。素面でするキスは煙草の味がした。