お題:忘れない匂い
辻くんの後ろの席になった一学期。毎日ふわっといい匂いがして、辻くんのシャンプーか何かかと思ったけど、あの辻くんがこんないい匂いのシャンプーを選ぶのはなんか違う気がして、ずっと気になっていた。こんな感じだけど実は彼女がいる。とかも考えたけど、しっくりこないしもやもやしたのでずっと、違う可能性を探していた。
もう席も変わってしまって、あの匂いを感じることも無くなった。そもそも後ろの席にでもならなきゃ辻くんに近づくことも難しい。気軽に話せる間柄なら、あの匂いの正体を教えてもらえたかもしれない。
「辻呼んで」
「いいけど」
後ろのドアに近い席になった私はしばし、違うクラスの人に人を呼ぶように頼まれる。去年同じクラスだった奈良坂はちょくちょく辻くんに用事があるようで、呼んでくれと気軽に言ってくるけど、毎回辻くんがびっくりするので、私としては少し心苦しい。
「辻くん。奈良坂来てるよ!」
近寄ったら逃げられるから、結局こうして遠くから声をかけるだけ。これなら奈良坂が呼んでも正直変わらないと思う。それでも席が変わった今も、辻くんとの関わりがなくならないのが嬉しくて、それを指摘したりせず、これを続けている。
秋にしては気温が高かった今日は、体育の後にクラスのほとんどがブレザーを着ていなかった。辻くんもワイシャツ姿だった。私の後ろを通り抜けて、廊下へと向かう。いつものことなのに、今日はあの時の匂いがした。
辻くんの背中に向かって息を吸っていたら、奈良坂に「何してんの」と冷ややかに言われ、振り向いた辻くんも顔が真っ赤で、私も真っ赤になってしまった。
「辻くん、いい匂いするから」
「……」
「きもい」
この際奈良坂にはどう思われてもいい。けれど辻くんにも引かれただろうか。
「……母親が、柔軟剤いっぱい入れるから…………」
消えそうな声で、背中を向けた辻くんが教えてくれた。柔軟剤か。てことはワイシャツがいい匂いをしていたということか。どおりで、席が変わった後にすれ違ったりしても匂いがあまりしなかったわけだ。
教えてくれてありがとうと言おうと思ったけれど、もう辻くんは教室を出て行ってしまった。私はきっとあの匂いをずっと忘れられないだろう。
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