三年生は受験もあって、自由登校になった。週に一回は一緒にお昼ご飯を食べていたのに、それがなくなっただけですごくさびしい気持ちになる。四月になって、先輩が大学生になったら、もっとさびしい気持ちになるような気がして、ここ最近不安が消えない。
先輩はボーダーの人が多い大学へ進学予定だった。ボーダーの人ならほぼ推薦で入れる大学。わたしはずっとボーダーを続けるかまだ決めていない。だから、しっかりと受験をするかもしれないし、しないかもしれない。できたら先輩と同じ大学に行きたいなんてよこしまな気持ちもあるけど、進路のことをそんなことで決めるのは自分らしくない。それに、先輩も喜んではくれないと思う。
将来のことを考えて、上の空の日が増えてる。流れていく授業について行けてない。答えがわからないまま、進んでしまった。先輩が同じ校舎にいないだけで、こんなにも集中できなくなるとは、先輩と付き合い始めてからどこかおかしい。

放課後、聞きそびれた授業を先生に聞きにいくか悩んだ。あからさますぎてぼーっとしてたのもバレるから、本当は行きたくない。でもわからないままにしておくのは怖い。友達に聞きたかったけど、得意じゃない科目はよくわからないって言われることが多いし教えてくれる気がしない。それにぼーっとしてた理由も聞かれそうで、なんとなく避けたかった。
蔵内くんとか荒船ならわかりそうだけど、今日は本部に行く予定がなかったし、二人の予定も知らない。会えば話したり勉強を教わる仲だけど、個人的に連絡を取り合って予定合わせてとか、そんなことはした事がない。それに弓場先輩と付き合い始めてからは、男の子と二人になることはなるべく避けてる。
どうしたらいいんだ。最近脳みそも弱ってる気がする。前まではこんなどうでもいいことで悩んだりしてなかったはずなのに。
悩みながら手グセで携帯をいじる。もうこれは後回しにして帰ってしまおうか、それとも先生のところへ行くか。出てたはずの通知にも気付かず画面をが動かし続ける。どうでもいいお知らせの中に、大事な連絡が混じっていたのに気が付いたのは、少し時間が経ってからだった。
教室で待ってる。その文字を見てびっくりした。気が付けば自分の教室も他に誰もいなくなってて、わたしが待っててどうするんだ、と慌てて荷物をまとめて三年生の教室に急いだ。



「弓場先輩!」
「走るな」
「すみません。気付くの遅くなっちゃって、だから急いできたんです」
誰もいない三年生の廊下はなんだか同じ学校内とは思えないほど静まり返っていた。いなかったらどうしようって、一瞬考えたら怖くて、早く会いたかった。廊下を走る音も、全部聞こえてて、わたしだって思ってくれたのが嬉しくて、ニヤついてしまう。
「今日はどうしたんですか?」
「先生に用があったから」
「待っててくれたんですか?」
わかりきったことを聞きながら、先輩の座る席に近づく。参考書を広げていて、もう勉強する必要もないはずなのに、偉いなあって思う。
「あ、先輩、数学、得意ですか?」
「お前よりは得意だろうな」
「教えてください」
今日の板書をしそびれたノートを取り出して、知らない人の椅子を、先輩の机に向ける。
「今日も本部に行くんですか?」
「七時頃。連中も忙しいらしい」
「それまでは一緒にいれますか」
「勉強の進捗次第だな」
久しぶりの二人きり、放課後デートと言うにはちょっと違うけど、わたしがすごく頭がよかったら、こんなのあっという間に終わりにして帰りにどこか寄り道してあたたかいものを飲んだりできたのに、それはちょっと無理そうだ。でもせめて、一緒に帰れるくらいの時間では終わらせたい。勉強がわからないまま先輩が本部に行くことになったら、多分わたしも本部に連れて行かれて本部で勉強する羽目になる。この人はそう言う人だ。一緒に過ごせるのは嬉しいけど、勉強ばっかりは嫌だ。
「ちゃんと頑張ってるんだな」
「え?」
「ノート、見やすく纏まってる」
恥ずかしながら今日は諦めたため、ごっそり抜けている。何も書いてないから今日のことはバレてないけど、これから一緒に進まなければならない。
「ここの問題のことなんですけど」
教科書を開いて例題を指差す。教科書の説明はわかるようでわからない。次の設問もやっておきたい。でもやり方がさっぱりわからない。
「……」
ノートをとってないことに気が付いた先輩は少し苦い顔をした。最近二人の時は少しだけ柔らかい表情でいてくれる。多分それを知っているのはわたしだけ。
「今日ちょっと考え事してたらいつの間にか進んでて」
「何考えてたんだ」
「たいしたことじゃないんですけど……」
弓場先輩の視線が鋭くなる。後ろめたいのに嬉しい。責めてるわけじゃなくて、悩みがあるなら言えってことだと、伝わってくるから。
「将来のことを、すこし」
「進路か?」
「とか、色々……」
「言いたくないことならいいけど、あんまり考えすぎても答えは出ないぞ」
「先輩とのこととか、を、考えてたら、授業進んでました」
素直に伝えれば先輩はびっくりした顔になって額に手を添えた。耳、赤いかな。全然隠せてなくて、かわいいと思うし、うれしくなる。
「先輩が卒業したら、さびしいなって。わたしも大学同じところに行きたい気もするけど、ボーダー続けるかどうするか、まだ決めてないし、どうしようって。先輩と今より会えなくなっちゃったら、やだから」
「……そんなこと、ないだろ」
「そんなのわかんないじゃないですか」
「今の時代、どこにいても居場所を聞けるし、市内ならいつでも会えるだろ」
「そうだけど、そうじゃなくて」
「どういうことだ」
じっと、ノートの文字を見つめる。この意味のわからない数字とアルファベットの羅列みたいに、すっきり解けて答えが出ればいいけど、わたしの悩みはたぶん、こんな風にすっきり答えが出そうにない。そもそも、問題の根本も、はっきり見えてない。
「先輩が、なんだか遠い存在になりそうで、怖いです」
「……上手い言葉は見つからないけど、今のところ俺は遠くに行く気はない。だから、なんだ、実際にそうなることはないから、心配すんな」
わたしのちっぽけな悩みを大真面目に受け止めて、応えてくれる。遠慮がちに頭の上に手のひらが乗って、優しく撫でられる。不器用な手つきが、いとおしい。女の子に触れることに慣れてない、やさしい手。
「ありがとうございます」
「あー、ほら、これ、やるんだろ」
「はい」
先輩は机に広げたノートをトントンと叩く。このあとわたしはちゃんと勉強が頭に入るのか、今度はそんな心配でいっぱいになる。よく考えたら放課後静かな校内、二人きりの教室、ドキドキしてしまうシチュエーションだ。けれど、甘い空気になってくれないのは、あんまりにも理解が遅いわたしに先輩がイラついて、口調がどんどん強くなるから。それでも好きでたまらなくて、今日一緒に過ごせてよかったなって、強く思った。