「おはようございます」
「おう。おはよう」
 弓場先輩とは普通に話せる間柄になった。気まずいかもって思っていたけど、別に気にした様子はなくて、蔵内くんにも確認したけど、特に何か言っていたりもしていないし平気だと言われて、すっかり安心した。別にひどいことしたわけでもないし、そんなに気にしなくてもいいと言えばいいのかもしれない。よく知らない相手だったから怖かったけど、弓場先輩と話すようになれば、もう何事もなかったように過ごせるようになった。
「今日の午後、一緒に任務ですよね?」
「そう言えばそうだったか」
 階段で降りようとしてくる弓場さんを引き止めて、下から話しかける。今日の任務は弓場隊と一緒だ。他にも何人か、フリー隊員も一緒だったと思う。隊に所属の人はあまりフリーの隊員をチェックしないことはなんとなく知ってる。
「よろしくお願いします」
「足引っ張るなよ」
 やさしく笑ってそう言った。その時、猛スピードで階段を降りてくる男子生徒がいて、弓場先輩の横をすり抜けたと思ったら、肩がぶつかった。走ってきたその人は段抜かしで階段を降りて、すみませんとも言っていた気がする。そう思いながら浮いた足元にあーあーって思った。目の前でびっくりした顔の弓場先輩を最後に、目をぐっとつぶった。
 意識はずっとあった。背中が痛い。無理に抵抗せず、素直に落ちればよかった。片足が浮いたのを踏ん張ろうと思って、おそらく反対の足を捻った。これは落ちる前に感じた痛み。
「大丈夫か?」
「大丈夫じゃないです」
 今日少し早く登校してきたから、チャイムが鳴るには少し早いし、人もまだ少ない。でももう少ししたらどんどん生徒は増えるだろうし、こんなところでひっくり返っていては迷惑でしかないのはわかるのだけど、動けない。
「立てるか?」
「わかりません」
 タンコブできてたらやだなあと思いながら後頭部に手を伸ばす。すぐ横で弓場先輩が心配そうにしてくれていて、本当に、優しい先輩だなあなんて、思ったりしていた。
「今すぐトリオン体になりたいです」
「そんなことで規定違反するな」
 馬鹿らしいことを言いながら、体を起こす。頭も背中も痛いけど、やっぱり一番足が痛いかも知れない。
「………」
「どこか痛むか?」
「全身」
 保健室もう開いているかな。先生がいればそれが一番いいけど、湿布の一枚くらいは欲しい。放り出してある鞄を拾おうと手を伸ばしたら、先に弓場先輩が拾ってくれた。
「ありがとうございます」
「保健室、行くぞ」
 そう言って、弓場先輩は背中を向けてしゃがみ込む。これってもしかして乗れってことなのか。普段だったら絶対断るのに、何故か弓場先輩だからいいかって気持ちになって、そのまま甘えることにした。足が痛くて立ち上がれたところで、また階段を下り、保健室を目指すのは大変そうだったし、頭が痛くて思考能力が低下しているのも手伝っただろう。
「………お願いします」
 背の高い弓場先輩の背中は目線が高くなって少し不安だ。やっぱりトリオン体になればよかった。そうしたら少しは軽かったのではないだろうか。いや換装したなら自力で保健室に行けたから、そもそもこうして先輩におぶさることもなかった。
「重いですか?」
「このくらいなら、まだ背負える」
 兄弟とかが、いるのだろうか。少し慣れた感じがするのは気のせいではない気がする。安心して身を任せられるのは、お兄ちゃんみたいなオーラのせいだろう。年齢は一年しか変わらないのに、とても大人に感じるし、言動も厳しそうに見えるけど、実は愛があると思っている。隊長をしている人は、どの人も同じように頼りがいのある人が多いと思う。隊に所属するのはもちろん興味があったし、誘われたことだってある。けど、ランク戦に参加するなら本気で挑みたいし、学校の勉強について行くのに精一杯の今、ボーダーだけに集中することは、わたしには難しくて踏み込めないでいた。
 どうでもいいことを考えてるうちに保健室に到着して、無事に入れたのだけど、肝心の先生はいない。
「待ってたらそのうち来るだろ」
「ですかね。ありがとうございました」
 適当な椅子に下され、お礼を伝える。人一人背負って来たというのに疲れた素振りもなくて、さすがだなと感心した。
「悪がなったな。落ちるの助けられなくて」
「そんな風に思ってたんですか? わたしがボサッとしてたせいで落ちただけですから、気にしないで下さい」
「まあ助けようとして二人で転げ落ちたらそれこそ悲惨だったしな」
「弓場先輩の下敷きになんてなったらわたし、今日の任務行けなかったですよ」
「それは困るな」
 下らない話に笑みが溢れる。弓場先輩はやさしい。たぶん隊の子たちと同じくらい、大事に思ってくれてると、勝手に自惚れてしまう。隊に所属してないわたしが、こんな風に頼れる先輩と仲良くなれたことが、純粋に嬉しかった。
「先生来なかったら、勝手に湿布もらったりするんで、もう大丈夫ですよ」
「そうか。無理はするなよ」
「はあい」
 弓場先輩は時計を確認してから、声をかけて保健室を出て行った。もう直ぐ予鈴が鳴る。遅刻でもないのに教室にいないと不審がられるだろう。わたしも友達に言っておこうと思って鞄から携帯を出そうとしたら、保健の先生が戻ってきた。先生の顔を見たら、なんだか一気に身体の痛みを思い出して、泣きつくように「階段から落ちて満身創痍です」と伝えた。