「家、あっちだったよな」
「そうです」
 確認をすればすぐに言葉は返ってくる。住宅街に差し掛かっていて、外灯も少ない。雨が降っていなかったら、こんな時間に一人で帰っていたのだろうか。普段は誰か家が近い奴と帰っているのだろうか。そう考えたときに思い浮かぶのが男ばかりで、モヤモヤした。
 なんとなく苦手だと思ったのは、他の女とは違う感情を持っていたかららしい。そう気が付いて、そのまま口にしたまではまあいいのだが、そのあとの恥ずかしさやいたたまれなさ、なんと言えばいいかわからない感情がグルグルと渦巻いて、どう振舞えばいいかがわからなくなった。普通を心がけていたのに、うまくかみ合わない。彼女の初めて見る表情に狂わされている。そしてこの距離も原因の一つだけれど、傘を出ようとした彼女を引き留めたのは自分だったから、どうにもできなかった。この傘は彼女に貸して、自分は濡れて帰ってもいいような気さえしたが、暗い中一人で帰すわけにもいかず、結局そわそわしているのをひたすら隠しながら、隣を歩いた。
「弓場先輩」
「なんだ」
 このやりとりも、もう何度目だろう。話しかけるのに、間をあけられると、緊張が高まってしまう。
「わたしたち、両想いなんですよね?」
 今度は自分が傘の外に飛び出したい気持ちになったが、傘を持っているのは自分なのでそうもいかない。彼女に傘を傾け、距離をとることにした。
「濡れちゃいますよ!」
「いいから」
「だめです! 風邪ひいちゃいますよ!」
 伸ばした傘を持つ手を彼女は引っ張るけど、痛くもかゆくもなかった。ただ心臓が暴れるような感覚が、強くなった。
「あの! わたし、傘、あります……」
「はあ?」
 彼女は腕から手を放し、カバンの中を探る。本当に折りたたみ傘が出てきた。ないんじゃなかったのか。
「嘘ついてたのか」
「傘がないとは言ってません! 天気予報見てなかった、と入れて欲しいとしか……」
 言われてみればそうだが、明らかに傘がなくて困っている顔をしていたじゃないか。そうまでして自分と一緒に帰りたかったのかと思うと呆れた。けれど、冷たい態度をとってしまったことも悪いと思って、これ以上は何も言えなかった。
「……もう暗い。傘があっても送るから、安心しろ」
「嫌いになってないですか?」
「そんなことあるか」
 自分への好意がわかっているからか、傘に入れて欲しいと言ったことも、いとおしく思える。
「じゃあ好きですか?」
 別々の傘に入ったおかげで、いくらか距離ができた。でもこれくらいでちょうどいい。やっと、少し落ち着けた。
「好きだ」
「本当ですか?」
「嘘ついてどうする」
「えっと、じゃあ、その……わたしは先輩の恋人になれるんですか?」
「なれるんじゃないか?」
「え! なんでそんな曖昧なこと言うんですか」
「俺に聞くな! 自分で考えろ!」
 恋人になる。お互いが好きであれば当たり前にそういうものだと思っていたけど、これはいちいち確認をして、共有しないといけないものなのか。こっちだってどうしていいかわからないことを、託されても困る。
「わたしは弓場先輩の彼女になりたいですけど、先輩が嫌なら諦めます」
「誰も嫌だとは言ってない」
「だって、先輩が曖昧にするから、不安です。いつも何でもはっきりしてるのに、なんで今日はこんなんなんですか?」
「……慣れてないって、言ってるだろ」
 じいっと見つめられて、たじろいでしまう。年下の女相手にこんなことでは、迅に笑われてしまう。あいつに今日は会ってないよな。こんな未来を見られていたらと思うと、つらい。
「恋人に、なって欲しい。これで満足か」
「……満足です」
 自分でせがんだくせに、真っ赤な顔をして喜ぶ彼女はやっぱりかわいくて、大切にしようと思った。