通学鞄に折りたたみ傘は常に入れっぱなしだ。朝から雨が降っている日は大きい傘を持って学校へ行くけど、今日みたいに降りそうな日には折り畳みを使っているから、傘がなくて帰れないとかそういうことは起こらない。でも、今日、今この瞬間を逃したら、一生距離が縮まる気がしなかったので、傘は持っていないことにした。
 傘を開こうとしている弓場先輩の近くには幸いなことに誰もいなかった。いきなり入れて欲しいと頼むのは後輩としても図々しいと思って、下手な演技をしてみたけど、特に弓場先輩にばれなかったらしい。同級生と帰れと言われて少しだけへこんだけど、ここで折れたら傘がないふりをしたのが馬鹿みたいで、引き下がらなかった。
 最近、弓場先輩を好きなことがののさんにばれたようで、あれは鈍いからもっとガンガン行け! とアドバイスをもらった。けれど、実行できる気はしていなかった。好きだと自覚がなかったときは、結構わがままを言えたのに、今はもう、馴れ馴れしくもできないでいた。
 一つの傘に収まりながら、テレビドラマのあざとい女を思い出して、ゆっくりと言葉を口にした。思い出しながらだから、変に間を持たせてしまったり、急に素に戻ったり、上手にできてる気はしない。でも、弓場先輩は、疑うことなく返事をくれた。
「俺とは何か言われてもいい、って?」
 頭を縦にブンブンと振って、肯定したかった。でもそんなことをしても、弓場先輩はわたしの好意に気付かず、変な奴だって笑って終わってしまうから、できる限り、あざといいい女風な人になりきった。
「先輩とならいいかなって、思ってますよ」
 いいかな、どころではない。先輩と噂にしてもらえるなら喜んで毎日一緒に帰りたいものだ。弓場先輩が自分のことをどう思っているか知りたい。好きって思ってくれてなくてもいい。ただ少しでも、後輩ではなく異性だと思って欲しかった。
「先輩は……」
勇気を振り絞っていたら唐突に先輩の手が肩に触れた。肌に触れる少し濡れた制服が、冷たいのに、熱かった。
「車、きたから。大丈夫か?」
「だい、じょうぶ、です」
引き寄せられる勢いが勝って、弓場先輩の胸元におでこがぶつかった。尋常じゃなくドキドキして、クラクラした。こんなに体幹が弱いなんて、先輩に嫌われてしまう。
「濡れてるなら言え」
「これくらい、大丈夫です」
「いいから」
肩を指して、濡れていると言った。別に濡れたっていい。先輩のすぐ隣を歩く権利さえ手に入れば、雨なんてもう関係ないのだ。それに、もう十分すぎるほど近寄ってしまったから、この先は自分の傘を開いて帰ってもいいくらい。
距離を詰めて、わたしの肩が濡れないか確認する弓場先輩がかっこよくて、恥ずかしくて、さっき聞けなかった質問をもう一度してみた。
「先輩は、もしも、わたしと付き合ってるって噂になったら、嫌ですか?」
「嫌じゃない」
それってどういう意味で言ってますか? そう聞こうと思ったのに、それよりも先に、先輩の方から「好きだ」と言ってきて、もう同じ傘に並ぶのは無理だった。
「バカか、濡れるだろ」
「一旦落ち着かせてください! 脳みそが破裂します!」
「破裂する訳ない」
 一瞬傘の外に飛び出たわたしをいとも簡単に腕を伸ばして引き寄せてしまう。心臓は馬鹿みたいにうるさい。一緒の傘に入ることも渋ってた人が何をどうしたらこの展開になると言うのだ。
 掴まれたままの腕が熱い。顔を上げられない。自分が好きって言ったわけじゃないのに、なんでこんなに苦しいんだ。冗談だったらどうしよう。そうか、その可能性も捨てきれない。いや、冗談でそんなこと言う人じゃない。だから好きなのに。
「わたしも、好きです……」
 雨の音にかき消されそうな声しか出なかった。でもこんなに近くにいたのだから、きっと聞こえてるはずだ。涙が込み上げて、そのまま雨に紛れていった。