ボーダー本部から帰ろうとした時、パラパラと雨が降り出していた。確か持っていたはずだとカバンに手を入れて折り畳み傘を探す。目当てのものを見つけて取り出していれば、隣にやってきた少女があーあ、と呟いた。
「……傘、ないのか?」
察して声をかける。同じ学校の、一学年下の少女は愛想笑いを浮かべて、天気予報見てませんでした、と呟いた。
「まだ同級生残ってるだろ。奴らの誰かに入れてもらえ」
「弓場先輩は、入れてくれないんですか?」
広げた傘を確認して持ち直せば、少女はじっと見つめてくる。別に傘を持ってない奴を入れるくらいどうってことない。折り畳み傘にしては大きめのものを使ってるし、入れてやらない理由なんてないが、なんとなく困る。
「蔵内なら傘くらい持ってるだろ。アイツらももう帰るだろうから少しくらい待ってろ」
「弓場先輩と一緒に帰りたいです」
眉間にシワが寄っているかもしれない。でも仕方なく、わかったと言って傘を傾けるしかなかった。少女の発言は時折、面倒事を含む。甘えてくる、と言って正解かわからないわがままをストレートな言葉で要求されると弱い。
「ありがとうございます」
隣に立ったのを確認して歩き始める。雨が傘を叩く音は思ったよりも大きい。今後は隊室に置き傘くらいは用意しておくといいかもしれない。傘なしで本部から市街地まで歩くには、濡れる事を避けられない。
「……嫌でしたか?」
「何がだ?」
「わたしと帰るの」
「……」
嫌ではない、そう言えない理由はわからなかった。この少女と関わると、何故か些細なことが気恥ずかしくなる。
「ボーダーの男の人って、かっこいいじゃないですか。だからわたしがボーダーで仲良くしてると、学校の女の子とかには、よく思われないんですよ」
「どう言う事だ」
「すぐ付き合ってるの? とか聞かれて、面倒なんです。同級生の男の子といると特に」
「そう言うことか」
「弓場先輩のことをからかう人はいないだろうし、先輩なら同級生よりはマシなので」
マシ、って何だよ。と少しだけ面白くない。いつも掴みどころがなくて、真意がわからない。懐かれてる意識はあるが、それがどう言った類のものなのか、いつだってわからない。
「俺とは何か言われてもいい、って?」
「先輩とならいいかなって、思ってますよ」
一つの傘に二人で並ぶ距離は近くて遠い。触れそうで触れない距離は、夏の夜にふさわしい。警戒区域を抜けて、市街地へ入る。まばらだけど歩行者も多い。知り合いがいて、自分たちを見たらどう思うだろう。そう考えて、口をつぐんだ。
「先輩は……」
少女が立ち止まって言葉を放つ途中、後ろから車の明かりが近付いてきて、危ないと思って無意識に手を伸ばした。
「車、きたから。大丈夫か?」
「だい、じょうぶ、です」
鼓動がうるさくて、変なしゃべり方になった。成り行きとは言え寄り掛かってきた少女も熱を持っていて、今日は湿度が高いからなどとどうでもいい事を思った。しかし、引き寄せる時に触れた肩は濡れていた。
「濡れてるなら言え」
「これくらい、大丈夫です」
「いいから」
傘に二人がきちんと収まるように距離を詰める。嫌がるでもなく、恥ずかしそうにしている少女はもう少女に見えなかった。
「先輩は、もしも、わたしと付き合ってるって噂になったら、嫌ですか?」
「嫌じゃない」
今度は即答ができた。一緒に帰るのも、同じ傘にはいるのも、噂になるのも、嫌じゃない。最初からわかっていた。素直じゃないのは自分だけだった。